昨日の記事の続きとして、
そもそも「影響」とは何かについて、
考えてみた。
すると、生と死につながる結論がでた。
例えば、扇風機が動いていて、
風をこちらに送ってくるとき、
電化製品ではあるが扇風機は
「生きている」ことになる。
扇風機が壊れて、風を送ってくれなくなったとき、
「死んだ」という比喩を使ったりする。
こちらに影響(=風)がある=生とし、
影響がない=死、と捉えると、
私が周囲に対して影響を控えていた状態というのは、
自らのスイッチをオフにして
半分死人のように
過ごしていたのかもしれない。
また、相手からの影響を拒むことにより、
「相手のスイッチをオフにしたい」
という無意識な願望にもつながるので、
私は相手の生気を奪っていたのかもしれない。
影響しあうのが生者の営みならば、
私の表現はキチンと出してよいものだし、
相手からのそれをも受け取るのが、
礼儀かもしれない。
バスや電車の中で、赤ん坊が泣くのは、
生きていること(影響)を
こちらに伝えてくるものだ。
赤ん坊の生のほとばしりを、
私は肯定的に受けとめたい。
「うるさい!」などと、
泣く赤ん坊やその母親に怒鳴る人がいるが、
そういう人は、かつての私のように、
自分の生を抑圧した挙げ句、生ける屍になり、
また他者からの影響を
拒んでいる状態なのかも・・・。
私たちは共に地球に生きている。
生きているからこそ、互いに影響しあう。
それを快ととるか、不快ととるかは
それぞれ個人の自由なんだけど、
少なくともこれからの私は
何らかの影響を受けたら、
「これも影響の一種なんだ。
生きているって、素晴らしいなあ」
と受けとめたい、と思う。
そもそも「影響」とは何かについて、
考えてみた。
すると、生と死につながる結論がでた。
例えば、扇風機が動いていて、
風をこちらに送ってくるとき、
電化製品ではあるが扇風機は
「生きている」ことになる。
扇風機が壊れて、風を送ってくれなくなったとき、
「死んだ」という比喩を使ったりする。
こちらに影響(=風)がある=生とし、
影響がない=死、と捉えると、
私が周囲に対して影響を控えていた状態というのは、
自らのスイッチをオフにして
半分死人のように
過ごしていたのかもしれない。
また、相手からの影響を拒むことにより、
「相手のスイッチをオフにしたい」
という無意識な願望にもつながるので、
私は相手の生気を奪っていたのかもしれない。
影響しあうのが生者の営みならば、
私の表現はキチンと出してよいものだし、
相手からのそれをも受け取るのが、
礼儀かもしれない。
バスや電車の中で、赤ん坊が泣くのは、
生きていること(影響)を
こちらに伝えてくるものだ。
赤ん坊の生のほとばしりを、
私は肯定的に受けとめたい。
「うるさい!」などと、
泣く赤ん坊やその母親に怒鳴る人がいるが、
そういう人は、かつての私のように、
自分の生を抑圧した挙げ句、生ける屍になり、
また他者からの影響を
拒んでいる状態なのかも・・・。
私たちは共に地球に生きている。
生きているからこそ、互いに影響しあう。
それを快ととるか、不快ととるかは
それぞれ個人の自由なんだけど、
少なくともこれからの私は
何らかの影響を受けたら、
「これも影響の一種なんだ。
生きているって、素晴らしいなあ」
と受けとめたい、と思う。