私は視野が狭かったから、
自分の言動に気づかなかった。

自分の言動に気づいたら、
人の言動が気になるようになった。

人の言動から、
自分の感情が湧くのに気づいた。

自分の思いをきちんとうけとめはじめたら、
相手の立場をも想像するようになった。

そこから、思いやりのような深い感情を

学びはじめた。

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今日、幼児虐待の悲惨なニュースを聞いた時、
いつもは加害者側のこと
(言動や背景、生い立ち、動機など)
ばかり分析しがちだったが、今日初めて
被害を受けた子供側の気持ちを想像した。

どれだけ、痛かっただろう。

どれほど、心細かったことだろう。

想像を絶する日々であったろう。

あまりのつらさに、胸が苦しくなった。

・・・これが共感というものなのだろうか。

この年になって、やっと、人の感情を慮ることが

徐々にできるようになってきたかも。


イメージから受ける感情を
じっくりと静かに味わってみた。

折檻する側への怒りよりも、
ただ、痛いとかつらいとか、
逃げ出したいという気持ちをなぞり、
心がいっぱいになったとき、
心の奥底から
「こんなつらい思いを人にはさせたくない」という
能動的な考えが立ち上ってきた。

自分の経験であれ、人の経験であれ、
負の感情(あまり体感したくない感情)を深く学ぶと、
どうやら人に優しくなれるらしいが、
それは、こういうことなのだろうか。