これまでの私は、感謝する、というのを、

結構、義務感でやってた。


「人間は、感謝をしなくてはだめだ。

 ありがとうと言って、感謝しなさい」

という教えをどこかで受け取って、


「ありがとう?ありがとう・・・って、何だろう?」

と疑問に思い、ついで、


「私は、どうしても、感謝が出来ない。

 感謝の気持ちがわからない。

 だから、人間として、だめなんだろうな」

などと、考えていた。


いくら頭を下げて、ポーズは完璧でも、

心の伴わない感謝をしているフリな自分を、

私自身は受け入れられなかった。


楽しくないのにわざと笑うのは、無理がある。


それと同じように、心ではちっとも感謝していないのに

わざと感謝したフリをするのも、違和感がある。


本当の感謝というものを、

いつ、どうやったら、できるのだろうか、と思ってた・・・。



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そうやって、重苦しく悩んだこともあった。


が、今はけっこう簡単に、頭を下げられるようになった。


なので、昔と今と、どう心が違うのか、分析してみた。



私は、ものすごく面倒くさがりで、

出来ればいつでもゴロゴロしていたいし、

好きなだけパソコンしたり本を読んでいたい。

(この気持ちは、今も変わらないが。)


けれども、大人になってくると、

面倒くさいけれどもやらなくちゃいけないことがたくさんあって、

しょうがないから、やるわけだ。


さまざまな作業しながら、「いやだー、面倒くさいー」って

ワーワー騒いでいる自分を心の中で発見して、

そこで、はっとしたわけ。


みんな、こんな面倒くさいこと、いつもやってるんだな、って。


そう考えると、もう、なんでも、ありがたく思えてきちゃって。


ウエイトレスさんがお料理を運んでくれることも

「あー、こんなに重いのを、いちいち面倒くさいでしょうに。

 本当にごめんねー。 ありがとうねー」

という気持ちになってきて、

「すみません」と、知らず知らずに頭が下がっている。


レジ打ちをしてくれる人にも、

クリーニングしてくれる人にも、

バスの運転手さんにも、

道路工事の人にも、本当にすみません、って思う。


ものぐさで不器用な私の代わりに、

いろいろと面倒なことを手際よくやってくれて、

いやはや本当にごめんなさい、っていう謝罪の気持ち。


自分が面倒くさがりであればあるほど、

他の人の手間に対して、謝罪をするほかは無い。


今の、感謝の気持ちって、どちらかというと、

「やってくれてありがとう、うれしいわ(*^^*)」より、

「お手をわずらわせて、胸が痛むわ ヽ(;´Д`)ノ」の

パーセンテージの方が、

私にとっては強い感じがする。


だから、「謝る感じ」と書いて、「感謝」なのかもしれない。


「オカン、感謝するときは、ありがとう、って言うんだよ。

 すみません、じゃ、ないんだよ~」と

高校で教わったホヤホヤ情報を、長女が私に教えてくれたが、


どうしても、私の気持ちは、

「やってもらっちゃって、ほんとに、すみません m(_ _ )m」

という思いなんだ。


ありがとう、より、ごめんなさい、の思いの方が、

私は頭を下げやすい。下がりやすい。


あと、今ならわかるけど、

「感謝をしなくては」という義務感でいると、

いつまでたっても、

感謝の心は生まれないとわかった。


だから、あえて私は、

「感謝の気持ちを忘れてはダメだ!」などとは思わない。


そんな邪心を持っていると、

「うわ、ごめんなさい」という米粒のような光が、見えなくなる。


「人に動いてもらった」→「ごめん!」が

心のどこかでピカッと光ったときに、

頭は勝手に下がっていく。


そんな仕組みの、今の自分を見ている。