これまでの私は、感謝する、というのを、
結構、義務感でやってた。
「人間は、感謝をしなくてはだめだ。
ありがとうと言って、感謝しなさい」
という教えをどこかで受け取って、
「ありがとう?ありがとう・・・って、何だろう?」
と疑問に思い、ついで、
「私は、どうしても、感謝が出来ない。
感謝の気持ちがわからない。
だから、人間として、だめなんだろうな」
などと、考えていた。
いくら頭を下げて、ポーズは完璧でも、
心の伴わない感謝をしているフリな自分を、
私自身は受け入れられなかった。
楽しくないのにわざと笑うのは、無理がある。
それと同じように、心ではちっとも感謝していないのに
わざと感謝したフリをするのも、違和感がある。
本当の感謝というものを、
いつ、どうやったら、できるのだろうか、と思ってた・・・。
****
そうやって、重苦しく悩んだこともあった。
が、今はけっこう簡単に、頭を下げられるようになった。
なので、昔と今と、どう心が違うのか、分析してみた。
私は、ものすごく面倒くさがりで、
出来ればいつでもゴロゴロしていたいし、
好きなだけパソコンしたり本を読んでいたい。
(この気持ちは、今も変わらないが。)
けれども、大人になってくると、
面倒くさいけれどもやらなくちゃいけないことがたくさんあって、
しょうがないから、やるわけだ。
さまざまな作業しながら、「いやだー、面倒くさいー」って
ワーワー騒いでいる自分を心の中で発見して、
そこで、はっとしたわけ。
みんな、こんな面倒くさいこと、いつもやってるんだな、って。
そう考えると、もう、なんでも、ありがたく思えてきちゃって。
ウエイトレスさんがお料理を運んでくれることも
「あー、こんなに重いのを、いちいち面倒くさいでしょうに。
本当にごめんねー。 ありがとうねー」
という気持ちになってきて、
「すみません」と、知らず知らずに頭が下がっている。
レジ打ちをしてくれる人にも、
クリーニングしてくれる人にも、
バスの運転手さんにも、
道路工事の人にも、本当にすみません、って思う。
ものぐさで不器用な私の代わりに、
いろいろと面倒なことを手際よくやってくれて、
いやはや本当にごめんなさい、っていう謝罪の気持ち。
自分が面倒くさがりであればあるほど、
他の人の手間に対して、謝罪をするほかは無い。
今の、感謝の気持ちって、どちらかというと、
「やってくれてありがとう、うれしいわ(*^^*)」より、
「お手をわずらわせて、胸が痛むわ ヽ(;´Д`)ノ」の
パーセンテージの方が、
私にとっては強い感じがする。
だから、「謝る感じ」と書いて、「感謝」なのかもしれない。
「オカン、感謝するときは、ありがとう、って言うんだよ。
すみません、じゃ、ないんだよ~」と
高校で教わったホヤホヤ情報を、長女が私に教えてくれたが、
どうしても、私の気持ちは、
「やってもらっちゃって、ほんとに、すみません m(_ _ )m」
という思いなんだ。
ありがとう、より、ごめんなさい、の思いの方が、
私は頭を下げやすい。下がりやすい。
あと、今ならわかるけど、
「感謝をしなくては」という義務感でいると、
いつまでたっても、
感謝の心は生まれないとわかった。
だから、あえて私は、
「感謝の気持ちを忘れてはダメだ!」などとは思わない。
そんな邪心を持っていると、
「うわ、ごめんなさい」という米粒のような光が、見えなくなる。
「人に動いてもらった」→「ごめん!」が
心のどこかでピカッと光ったときに、
頭は勝手に下がっていく。
そんな仕組みの、今の自分を見ている。