(昨日の記事の続き)
で、執着でどんどん凹んでいく空間を、
宇宙はほうっておくわけではない。
ある時点で、元の平らに戻ろうとする
反発の力が働くようになっている。
千客万来だった店に客がまったく来なくなる、
上昇していた株が、急に下がる、など。
魂フィールドの凹みが元に戻り、
これまで高い山に登っていたと思う
(実はその分低いところにいた)人は、
もともとの平らな平地に転がされて、
ものすごい喪失感を味わうはずだ。
重い執着がなくなったのだから
魂は動くのが楽になるはずなのだが、
過去の凹み(彼らからすれば高み)が
忘れられず、また執着を取り戻そうとして、
凹みを作り始める。
地面の下にパラダイスがあると
勘違いしているもぐらのように。
これまで、凹凸の激しかった場所にいた魂にとって、
「何もない」という平坦な状態
(=魂はすべて平等である、という世界)は、
確かに不安かもしれない。
けれど、自由に動けることの楽しさを
取り戻した魂は、
もう二度と、凹みをつくろうとは思わないはず。
この魂フィールドの凹みは、
個人的な魂のことでも適用されるが、
たくさんの魂をかかえる
国という大きな領土でも、同じ法則が働く。
執着のある国民が多くいる場所ほど凹んで、
ゆがみの意識が高くなり、
周りの平安な国を馬鹿にしたり、
自分たちこそがすばらしい国だと勘違いする。
日本がそんないやな国になって欲しくないので、
私はせめて自分のゆがみ分だけでも
日々気をつけて、いつでも修正したい。
あと、目先の良い悪いで判断するのではなく、
「今の自分の状態は、
周囲にゆがみをつくっているかどうか」
ということを基準にして、物事を判断したいと思う。
ちなみに、聖人と呼ばれる人々は、
この魂フィールドの、一番平坦な場所にいる。
自然の法則にかなった、自由な場所にいると思う。
彼らのいる場所が、
とても低く感じる(謙虚に思う)のなら、
その分、自分は、高いところにいるんだと思って、
少しでも
平らな場所を目指す(元の位置に戻る)努力をしたい。
つまり、「私が私として無理せずに生きる」ことを、
「一番生き生きしている場所や状態」を、
目指せばいいということだ。