私は争い事が嫌いだ。
だから、すぐにその場をおさめようとして、
あれこれと一人で改善策を考え、
「これが一番いいよ」と
私の思う最高の策を出すが、
たいてい、当事者たちには
受け入れてもらえなかった。
いや、むしろ、反感をもたれることが多かった。
今なら、その理由がわかる。
「大きなお世話」だったからだ。
もし、争いごとを目にしたときは、
今後は、以下の点について、気を配ろうと思う。
1、私の最善策は、私だけの答えである
2、解決策より、プロセスの方が大事
3、私がすぐに答えを出そうとするのは、
争いを見た自分のストレスを
早く消したいという不安の表れ
4、その争いには、意味がある
5、口を出す立場かどうか、自分を見る
6、口を出すタイミングをはかる
1について。
私にとっての最善策は、
実はそれほど汎用性はない、
ということに気づいた。
だから、自分が当事者でない限りは、
意味のない解決策である。
2について。
私は、その場を「早く」治めることが大切であると、
ずっと信じてきた。
けれど、「時間をかけてじっくり」ということもあると、
学ばせてもらった。
植物の成長にも時間が必要なように、
人とのお付き合いにも、それなりの時間がいる。
3について。
困ることを一刻でも早く解消したい、というのは人情だ。
が、私があれこれと頭を使うのは、
とにかく目の前の争いをなんとかしたいという
焦りがあるようだ。
だから、自分の中の焦りを沈めるほうが先。
4について。
これは、私にとって、まさに、目からうろこだった点。
争うこと、っていうのは、決してだめなことではなく、
お互いを理解しあうためのツールのひとつでもあるらしい。
個人的には、争いを使うのは理解できないが、
それが必要な人たちもいる、ということ。
5について。
自分の案が通って、もし平和が戻ったら、
なんだか自分の手柄のような気がしてしまう。
そういう自分勝手な気持ちで干渉するのは、
当事者人たちに、失礼だと思う。
6について。
当事者たちが煮詰まって先に進めないときに、
初めて、「別の角度から見てはどうか?」と
ひょいと声をかけて、
また自分の席に戻るスタンスでいこうと思う。
答えは、当事者が出せばいいこと。
もし私の役目があるとしたら、
ヒント提供だけでいい。
そうと決めたら、
争いごとを見ても焦らなくなったし、
プロセスを楽しむ余裕が出てきた。
丸く治める、というのは、
第三者がいちいち口を出して
即刻その場をしのぐことではない。
見た目は解決したようでも、わだかまりは残る。
当事者が納得のいく答えを出すまで、
じっくり待ってあげることだ、と、わかった。
・・・というわけで、
うちの子たちの姉妹ゲンカは、もう止めません。