次女が、学校に習字の道具を持っていった。


翌日、次女の持ち帰ったものの中に、

フェルトの下敷きを巻いて入れる、

プラスチック製の筒の容器が無い。


学校においてきてしまっただけならよいが、

だれかに取られたのではないか・・・。

そんな不安が、ちらりと心をよぎった。


するとその不安が、どんどん増大して、

いじめられてやしないか、などと、

勝手な暴走を始めた。不安で、めまいすら感じる。


軽く頭を左右に振って、もう一度、冷静になる。


事実は、「筒を持ち帰っていない」ことだけ。

落ち着け、自分。


もし万一、だれかに取られたとしても、

また、買えばいい。

ネットでも手に入るんだから。


自分で買いなおすことが出来る、

自力で解決することが出来る、と思ったら、

すーっと気が楽になった。不安が消えた。


そうして、ハッと気がついた。


子どもの頃、母に新しいものを買ってと

なかなか言えなかった自分を思い出す。


「文具を買って欲しいんだけど」と頼むと、

母は無言で財布の口を開いたが、

そのときのかもしだす母のオーラが、

「ものすごくイヤだけど払う」という印象を受けた。


なぜかはわからないが、

勝手にそんな風に見えた。解釈していた。

なので、いつも、なかなか母に金銭の要求を

言い出しづらかったことを思い出した。


今回のことも、私の子ども時代と重なって、

次女ではなく私が

筒をなくしてしまったような錯覚に陥り、

「お母さんに新品を頼みにくいよぉ」と

潜在意識はとらえていて、苦しくなっていた。


そういえば、いじめによって、体育のハチマキを

同級生にカッターでたてに裂かれてしまったあとも、

母に新しいハチマキを買って欲しいと言いづらくて、

真剣に悩んだことを思い出した。

ハチマキを切られた事より、母に頼むのがつらかった。


わかった。私が怒りを感じていたんだ。

「あいつらがハチマキをカットしなければ、

 買わないで済んだのに!」という激しい怒り。

それが、母の姿とオーバーラップしてたんだ。


「・・・そうか、そうか。」と納得する。


自分で買って解決することが出来なかったから、

無力感をおぼえていたんだろう。

あるいは、新品を買うということが、

いじめにあったことと密接に絡んでいたのだろう。


もう、私は、自分で買えるんだ。

だから、筒のひとつやふたつくらい、平気だよ。

大丈夫だよ。いくらでも買ってあげる。

そう、インチャ(潜在意識)に説明した。


私のインチャは、これで、楽になっただろうか?


とりあえず、顕在意識は納得したぞ。


*****


あとで次女に「筒はどうしたの?」と聞いたら、

「学校のロッカーの上。明日もって帰るね~」

という、のんきな返事だった。


すべては、私の取り越し苦労だったね。


筒だけに、つつがないお話でした。

お後がよろしいようで。