「○○が好き」と正直に言ったとき、
80%の人が眉をひそめたとする。
そうしたら、不安になってきて、
自分は異常なのかなあ、なんて、
思ったりしませんか?
以前の私は自分のものさしに自信が無くて、
「私って変なんだ」といつも思い、
「○○が好き」って言えなくなったよ。
他人のものさしに、振り回されていたわけで。
でも、好きっていうのは、十人十色。
本来は、誰が何を好きでいても、自由だと思うんだ。
それなのに、勝手にものさしを人にあてて、
「こっちを選ぶのが、常識でしょ」とか
「男のくせに、ピンク色が好きなんて、変なの~」
とか言うほうが、了見が狭いんだろうね。
もっとさ、世間の意見はどうだろうかと思わず、
正直な心に戻って、
自分が好きなものとか相手が好きなものとかを
ありのまま、受け入れてみたらどうか、と思うんだ。
私を含めて日本人はとくに、自分の意見より、
周囲の意見を取り入れがちだから、
すごく流されやすい民族ではないかと思う。
周囲にあわせていれば、
責任もうやむやになるから楽だけど、
それじゃあ、本当の「好き」が見えなくなっちゃうよね。
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私は今回の選挙で、
事前に投票するところを決めていたんだけど、
新聞の下馬評を見たら、自分の希望とは違う
「△党が優勢」って書いてあって、
正直、心がゆらゆらした。
「国民のほとんどが△党を選んでいるなら、
こっちが正しいのかなあ・・・?」などと、
悩み始めている自分を発見して、びっくりした。
ふたも開けてないのに。下馬評って、こわいわ。
私みたいな単細胞は、踊らされてしまう。
よくよく考えて、これがいい、って
自分で決めたならいいけど、
「とりあえず右に倣え」になっているなら、やばいっしょ。
かたよった下馬評の記事を読むのはやめて、
もう一度落ち着いて、「選挙公報」をじっくり見る。
もし自分が、ある会社の社長で、
これから重要なポストの人選をするなら、どの人がいいか。
党ではなく、文章ではなく、人そのものを見る。
プロフィールの写真からにじみ出る人柄を感じてみる。
信頼できそうな、託せそうなオーラを感じてみる。
この人は、札束と国民、どっちを取る人かなあ、と想像する。
そういう風に選ぶとき、理屈を使わない。
(理屈を使うと、自分を説得してしまいがちになる。)
心の奥底で光るものを感じたら、それでいいんだ。
違和感を感じたら、思い切って、やめる。
選挙のこと以外にも、すべてのことにおいても、
もっと自分の直感を信じてみたい、今日この頃。
そして、どんな結果がまっていようと、
自分が選んだことを受け入れて、次に進みたい。