「○○が好き」と正直に言ったとき、

80%の人が眉をひそめたとする。


そうしたら、不安になってきて、

自分は異常なのかなあ、なんて、

思ったりしませんか?


以前の私は自分のものさしに自信が無くて、

「私って変なんだ」といつも思い、

「○○が好き」って言えなくなったよ。

他人のものさしに、振り回されていたわけで。


でも、好きっていうのは、十人十色。

本来は、誰が何を好きでいても、自由だと思うんだ。


それなのに、勝手にものさしを人にあてて、

「こっちを選ぶのが、常識でしょ」とか

「男のくせに、ピンク色が好きなんて、変なの~」

とか言うほうが、了見が狭いんだろうね。


もっとさ、世間の意見はどうだろうかと思わず、

正直な心に戻って、

自分が好きなものとか相手が好きなものとかを

ありのまま、受け入れてみたらどうか、と思うんだ。


私を含めて日本人はとくに、自分の意見より、

周囲の意見を取り入れがちだから、

すごく流されやすい民族ではないかと思う。


周囲にあわせていれば、

責任もうやむやになるから楽だけど、

それじゃあ、本当の「好き」が見えなくなっちゃうよね。


*****


私は今回の選挙で、

事前に投票するところを決めていたんだけど、

新聞の下馬評を見たら、自分の希望とは違う

「△党が優勢」って書いてあって、

正直、心がゆらゆらした。


「国民のほとんどが△党を選んでいるなら、

 こっちが正しいのかなあ・・・?」などと、

悩み始めている自分を発見して、びっくりした。


ふたも開けてないのに。下馬評って、こわいわ。

私みたいな単細胞は、踊らされてしまう。


よくよく考えて、これがいい、って

自分で決めたならいいけど、

「とりあえず右に倣え」になっているなら、やばいっしょ。


かたよった下馬評の記事を読むのはやめて、

もう一度落ち着いて、「選挙公報」をじっくり見る。


もし自分が、ある会社の社長で、

これから重要なポストの人選をするなら、どの人がいいか。

党ではなく、文章ではなく、人そのものを見る。

プロフィールの写真からにじみ出る人柄を感じてみる。

信頼できそうな、託せそうなオーラを感じてみる。

この人は、札束と国民、どっちを取る人かなあ、と想像する。


そういう風に選ぶとき、理屈を使わない。

(理屈を使うと、自分を説得してしまいがちになる。)


心の奥底で光るものを感じたら、それでいいんだ。

違和感を感じたら、思い切って、やめる。


選挙のこと以外にも、すべてのことにおいても、

もっと自分の直感を信じてみたい、今日この頃。


そして、どんな結果がまっていようと、

自分が選んだことを受け入れて、次に進みたい。