先日見たアニメ「おべとも学園」で
こんな話があった。
おべともちゃんが、縁日で、
遠方の友人(引っ越した同級生)とばったり出会う。
その友人は競争心が強いので、
ふたりは、射的と金魚すくいで、対決する。
射的は友人が勝ち、人形を2つゲット。
金魚すくいは、おべともちゃんが勝ち、金魚を2つゲット。
そこへ、友人のお母さんがやってきて
「遠いから、もう出発しないと・・・」と言う。
友人は、おべともちゃんと
もっと遊びたかったようだが、
母親にくっついて帰ることに。
おべともちゃんは、その友人に、
自分の金魚を1匹あげて、
「どっちの金魚が大きくなるか、競争しよう」
と言い、ふたりは別れる。
*****
それを最後までみて、私はびっくりした。
その友人も、おべともちゃんに
人形を1つ与えるのがオチだろう、と思っていたから。
で、なぜそのオチを期待していたのか。
私は、公平平等に、こだわるところがあるからだ。
(てんびん座のせい?)
人形が2体、金魚が2匹あったら、
人形と金魚を1つずつにすれば、公平でしょ?
けれど、この話のままだと、
最終的に、友人は人形が2体と金魚1匹。
おべともちゃんは、金魚1匹である。
こんな不公平なことはあるか。
けれども、こう考えてみる。
お互い、好きなことをしているだけなのだ、と。
友人の気持ちをイメージすると、
「おべともちゃんと遊んで楽しかった。
今日は2つも人形をゲットできて、良かった。
金魚対決も面白そうだ。がんばって育てよう」
おべともちゃんの気持ちは、
「友人と偶然会えて、遊んで楽しかった。
でも、もう帰らなくちゃならない友人がかわいそう。
私の代わりに、金魚と楽しんでね。」
そうやって、ふたりの心境を勝手に想像すると、
そこには、物品の授受による公平さは如何などとは、
まったく入る隙間がないことがわかる。
ていうか、
「金魚をもらったんだから、
人形を1つあげなさい」などと言うのは
本当に大きなお世話であろう。
おべともちゃんが思いやり主義であること、
その友人が競争主義であること、
私が公平平等主義であること、
どれが正しいかなんて、どうでもいい。
人の価値観にけちをつけたって、しかたがない。
それよりも、自分の価値観とその経験に対し、
また、人の価値観とその経験に対し、
教えてくれてありがとう、といおう。
私は、二人の友情を見せてもらったから、
それでいい。
公平平等にこだわる自分に気づけたから、
それでいい。
それぞれが幸せなら、それでいいんだ。