「1番から5番まで

 好きな数を選んでください」

と、とあるメンターに言われて、心で3番と決める。


「はい。あなたは3番を選びましたね」

「すごい!なんでわかったんだろう」と驚く。


しかし、当てられたことについて驚くのは、

本来はおかしい。


なぜなら、そのメンターは

1~5番までの選択肢を与えている振りをしながら、

こっそりと3番の札を渡しているからだ。


心の中を当てられたのではなく、

3番と言うよう導かれたのである。


「あー、言わせられてしまった。あはは」

と笑ってしまえば、メンターは別に怖くない。


一番怖いのは、

3番と言わせられた(操作された)

という自覚そのものがないときだ。


あるいは、

「この人は、私のことがなんでもわかるのね。」

と錯覚することだ。


もっとひどいのになると、

メンターに対して「3番と言うよう、こちらを操作してください」

と自分から積極的にだまされようとする人もいる。

しかも、無自覚で。


*****


人にだまされることは、誰にでもある。


だから、だまされないように生きようとしても、無理がある。


たまには、操作されたり、だまされたっていい。


けれど、いつでも、根っこの主体性を忘れないことだ。


「だまされる」というのは、

寄り道を強要されたり、

相手にハンドルを預けてしまうことと同じ。


けれど、よくよく考えて、

寄り道していることに気がついたら、

ハンドルを奪い返し、自らの意思で、

そのつど本来の道に戻ろうとすればいい。


目的地に向かって運転するのは自分、と決めること。

それが、主体性。


*****


メンター(=こちらを操作しようとする者)をわらえ。


その人は、他者を操ることはできても、

こちらの手の内全部を

知ることはできないのだから。


「どうして自分の言うとおりに動かないのか?」

と怒り出すメンターがいたら、

馬脚を現したのと同じだよん。

 


(余談)

こんな記事を書いてますが、

メンタリズムのDaiGoさんは好きですよ。


彼はまったく悪意のない

パフォーマーでエンターティナーだし、

こちらもテレビで

気持ちよくだまされるのを楽しんでいるからね♪


ただし、こちらの人生のハンドルを握ろうとする

悪意のあるメンターには、くれぐれもご注意を。