今までは、私の脳内には
「つらい境遇」=「苦労」=「すばらしい」
という図式があった。
つまり、境遇こそが焦点で、
ほかの人よりも苦労せざるをえないところで
生きてきた人
(先天性の病気、家が貧乏、家族関係が複雑、
職場が劣悪などの宿命を持つ人)
は、すばらしくて、
私のように中流家庭でフツーの生活をしてきた人は
苦労していないし、すばらしくもない・・・、
そんな風に思ってきた。
植物でたとえたら、
アスファルトをつきやぶって大きくなった大根がすばらしくて、
温室で咲いた百合の花は甘やかされている。
だから、「みんな、その大根のように、
尋常ではありえない場所で苦労して大きくなりましょう」
という考え方でいたし、
アスファルトの上なんて怖いと思う私は
苦労を嫌うヘタレだなあと、
どこかで自分を卑下していた。
けれど、今朝、直感があった。
アスファルトの大根だけが
苦労したわけではない。
温室の百合には、
温室なりのつらさがあったのだ、と。
(↑注:私が温室育ちだという意味ではない)
なので、私はこれから、こう思うことにした。
本当に苦労した人というのは、
境遇や宿命には関係なく、
自分のおかれた場所で、
つねにそこから学ぼうと努力し、
世間から目立とうが目立つまいが、
自分なりの花を咲かしてきた人、ということ。
たとえ恵まれた環境であっても、
己を甘やかすことなく最善を尽くしたら
それはすばらしいことだし、
また、境遇が人に同情されるようなつらい立場でも、
それを言い訳にして何もしてこなかった人は、
賞賛には値しないのだろう。
だから、私は今ここで、
自分が出来る精一杯のことをすれば
それでいいんだな、と思った。
置かれた場所を、肯定しよう。