「あしたぶたの日ぶたじかん」

という児童書がある。


小学生の主人公が

「ほんと新聞」という壁新聞を作るが、

ネタにされた人からブーイングが起こる。


「●●さんは、いつも忘れ物をするので、

 わすれんぼうです。」

と書いては、●●さんに、

「毎日じゃないのに。ひどい!」

と泣かれるし、


「××くんのお母さんは、太っている」

と書いては、××くんに

「うちのお母さんは、太ってない!」

と怒られる。


主人公は、「ぼくは本当のことを書いているのに」

と、やるきをなくしていく。


そして、「プライバシーの問題かなあ?」

などと考えて、次からは

「うそ新聞」を発行することにするのだった。


*****


これは、プライバシーの問題というより、

どこからが事実でどこからが主観か、

という難しい話もかかわってくると私は思う。


「わすれんぼうだ」とか、

「太っている」というのは、

主人公の主観だ。


誰だって忘れ物の1つや2つはある。

では、いくつ忘れたら、わすれんぼうなのか?


ご近所で太っていると言われても、

アメリカ人から見たら中肉中背かもしれない。


目撃者Aさんは、Aさんの主観でしゃべっているし、

記者Bさんは、Bさんの主観で、記事を書くのだ。


そうなると、いくら取材して事実だと思っても、

新聞にかかれることは、主観の寄せ集めである。


また、◎◎新聞社には◎◎的なカラーがあり、

△△新聞社には△△的なカラーがあって、

そのカラーが好きな人が購読するのであるから、

「自分のとっている新聞こそが正しい」

という見方を読者がしても、仕方がないかもしれない。


けれど、そろそろ、もう少し客観的な目線を養い、

「本当にこれは事実だろうか?

 目撃者の主観は入っていないだろうか?

 記者の主観ではないだろうか?

 被害者のことばかり浪花節で書いているが、

 加害者や第三者からの視点ではどうだろうか?」

というような、冷静な読み方をしてみたい。


たとえば、コラムの天声人語(2012.6.6)に、

『その奥さんが天国で、「だから言ったでしょ」と

 笑っているかもしれない。』

と書いてあるのは、筆者のユーモアであって、

天国の奥さんに取材したわけではない。


けれど、「新聞に書いてあるのは、すべて事実だ」

という思い込みが読者にあると、

「アインシュタインの奥さんは今、笑っているのか~」

と勘違いしてしまうこともあるかもしれない。


また、この話題は、アインシュタインが

使い古しの封筒で計算していたという話で、

きちんと冒頭で「逸話」と書いてあるが、

そこを斜め読みして、さも計算話を事実のように

読者が思い込むこともありうる。


で、その読者が「アインシュタインって、昔、

 使い古しの紙で計算したんだってよ~」

と、友人に話せば、事実として広まるかもしれぬ。


そうやって考えると、ひょっとすると、

うそのない「ほんと新聞」なんて、

この世にないのかもしれないな、

とさえ、私は思ってしまう。


科学的な天気予報だって、はずれるんだし~。


この記事で怒った誰かさん、

「ほんと新聞」を書いてみてくださいな。

ぜひとも購読させて頂きたいものです。



・・・以上、みにもるの主観で、お送りいたしました。


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