妥協という言葉は、
ネガティブな印象がある(orあった)。
子どもの頃は、周囲の人々に内心反感を持ちつつ、
相手の強気さに圧される形で
全面的に妥協してきた。
が、今、ふと考えてみると、
私が取っていた立場は妥協以上で、
もはや服従だった気がする。
自分には選択権が無いと思っていた・・・。
しかし、そういう立場に甘んじていたのは、
対話が面倒臭かった私にも責任がある。
だとしたら、私は妥協という言葉を
今後はもっと昇格させたい。
お互いに妥協するなら、
それは「痛み分け」だ。
私だけが妥協することは、
自分を愛する者として
もはや承服しかねる。
かといって、相手だけに
妥協してもらうのも乱暴だろう。
出来ればお互いにとって
最善な状態を目指すけれど、
無理ならば最低でも痛み分けになるように、
とことん深く話し合いが出来たらいいなと思う。
もう二度と服従したくはないから、
面倒くさがらないで
きちんと話し合う場に出よう。
ネガティブな印象がある(orあった)。
子どもの頃は、周囲の人々に内心反感を持ちつつ、
相手の強気さに圧される形で
全面的に妥協してきた。
が、今、ふと考えてみると、
私が取っていた立場は妥協以上で、
もはや服従だった気がする。
自分には選択権が無いと思っていた・・・。
しかし、そういう立場に甘んじていたのは、
対話が面倒臭かった私にも責任がある。
だとしたら、私は妥協という言葉を
今後はもっと昇格させたい。
お互いに妥協するなら、
それは「痛み分け」だ。
私だけが妥協することは、
自分を愛する者として
もはや承服しかねる。
かといって、相手だけに
妥協してもらうのも乱暴だろう。
出来ればお互いにとって
最善な状態を目指すけれど、
無理ならば最低でも痛み分けになるように、
とことん深く話し合いが出来たらいいなと思う。
もう二度と服従したくはないから、
面倒くさがらないで
きちんと話し合う場に出よう。