前年度に中学PTAの学年委員長だったので、
先日の保護者会で新たな三役決めをする時に、
司会をつとめた。

昔から人前で話をするのは苦手なので、
事前に段取りを書いたものを用意しておかないと、
緊張で日本語がめちゃくちゃになる私。

が、今回はぶっつけ本番であった。

話を進めている時、いつものように体が固くなって、
言わなくてもいいことを言ってしまったり、
同じことを何度も言ってしまったり。

そんな自分を一瞬、客観的に見た。
「司会としてはメタクタだが、私なりに頑張ってるじゃん。」
と、『親せきの子供の学芸会を見に来た大人』みたいな心境で
自分の様子を受けとめたら、
ダメ出ししたい面こそが私の持ち味に思えた。

時々ふと「今声が上ずったね」とか
「今ヒザがふるえたね」と脳内に報告が来ても
「これが私!それだけ、ド真剣なの。かわいいじゃん、私」
と心で返事して、あとは会の進行だけに集中した。

時間はかかったが、どうにか新三役が決まって、ホッとした。

家に帰ってからも、以前なら
「ああいえば良かった」などと自分を責めるところなのに、
脳内反省会が開催されないまま。気分はスッキリ。

ふりかえってみると今までは
「名司会者な自分」に無理になりきろうとしたり、
それが途中でうまくいかなくなると
失敗した自分を認めたくなくて
「面倒くさそうな司会者役」にチェンジする傾向があった。

が、今回はーつも演技なしの、
徹頭徹尾、ありのままの私だった。

ありのままでありながら、無私であった気がする。

無私は、私でなくなるという意味ではなく、
こういう自分を見せたいという演技欲や、
自分や周りを思い通りに動かしたいという
コントロール欲を捨て去ることなんだなあと思った。