自分の損得だけを考えて生きていた。
でも、そういう小ずるい計算をするのが
だんだん恥ずかしくなってきたし、
計算すること自体、面倒くさくなってきた。
なので、
「ちょっとくらい損をしても死ぬ訳じゃない」と
方向転換をしたら、
いちいち皮算用する手間がおおいに省けて
気が楽になった。
「損だ」という気持ちを捨ててしまうと、
「~をやってよ」と言われても腹が立たず、
「いいよ~♪」と動けるようになった。
腰が重かったのは、
「損だと思う心」のせいだったようだ。
(「ぜったいに損をしたくない!」と思う心は、
私にとって、ものすごい重力を持っていた。)
すいすい動ける&腹が立たない、という状態は、
ものすごく快適だ。
「ママ、あれ取って」「あれ、やっといて」
という子供たちの日々の要求も
「いいよ~」と気軽に受諾できる。
頼まれたことを(出来る範囲で)引き受けるのは、
「役に立った」という自己肯定のご褒美がもらえるので、
損どころか、ものすごい得だとわかった。ワンダホー!
そして、最近、また新たな発見をした。
相手のために、よりよく計算してあげる、ということ!
これをすると、自分自身が
めちゃくちゃ気持ちよいということがわかってきた。
うーん、うまくたとえるとしたら、どんな風だ?
・・・たとえば、自分の子供が、
外で走ることが大好きで
まったく家で勉強しないとする。
親である自分の計算で、
「勉強机をきれいにしたら、勉強してくれるかも」
と、子供の部屋を掃除しても、あまり気持ちよくない。
それよりも、子供が夜寝ているときに、
「明日も元気で駆け回れるように」と
スニーカーを念入りに洗ってあげる。
翌朝、子供は、スニーカーがきれいになっていても、
全然気がつかないけれど、
こちらは大いに心が晴れている・・・そんな計算。
まるで、相手の、目に見えない守護霊になっているような、
グリム童話の「小人と靴屋」にでてくる小人のような、
そんな立場でちょこっとでも動くと、
なんと私自身が最高にハッピーな気持ちになる!
アメイジング!
・・・ということに、つい最近、気づいたので、
本当にそうなのか、もう少し経験してみたい。
(と、ここまでは、9月30日に記す)
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(本日の追記↓)
昨日、次女が靴を、公園の木の上に乗せてしまった。
夕方、帰宅した次女が、申し訳なさそうに報告してきた。
傘一本を持参し、頑張ったが取れず、
日が落ちたので、その日はあきらめた。
翌日(今日)、子供が学校に行っている間に、
再度、公園に行き、傘2本つないで、それを取り戻した。
気分は上々~。(^^)