PTAの仕事をうまくやっていきたいと思いつつ、

それでも、心のどこかにわだかまりがあって、

まだまだ、どうにもスッキリしない。


「有能な人に対して、嫉妬している?」

という考え方を、最初はずっと強く否定していたが、

こうやって否定していること自体、どこかあやしい。


なので、自分の心をじっくり探ってみると、

そこにはかなり激しい「嫉妬」が存在していた。

「やっぱりか」と思った。


なので、思い当たる有能な人すべてに、

「気づかせてくれてありがとう」という念を送って

執着を手放すワークをしてみた。

これはもう、簡単に出来る。


それでも、まだモヤモヤが晴れないので、

あれれ?いったい何故なんだ?と思う。

誰かの、固有の人限定への思いではなさそう。


嫉妬そのものに焦点を当ててみる。

「私は嫉妬を持っている。嫉妬を持っている。」

と、同じ事を心で反芻していく。


さらっと書いているが、かなり厳しいワークだ。

悶絶しそうに、胸がギュウと苦しくなってくる。

それでも、私はやめないで、突き進む。


小さな子供にやさしく問いかけるように

「あなたはどんな嫉妬なの?」と尋ねる。

「・・・」(←無言だが、モヤンとした概念が届く)

「人の有能さが妬ましいの?」

「・・・」

「有能な人に認めてもらいたいの?」

「・・・」

「自分を大切にしてもらいたい気持ち?」

「・・・そうかもしれない。私を認めて欲しい・・・」


そこへ守護霊さまが助け船。

「人の才能を妬むのは、

 自分の才能に気づいていないからだよ」と。


嫉妬を代表する小さな私と、

疑問文を投げかけていた私は、

双方共に、守護霊さまの発言にきょとんとして、

「私の才能?」とハモる。


その途端、「嫉妬の元は何か?」の問いが、

「私の才能とは何か?」に変わった。


ここでようやっと気がついたが、

私がさっきからずっと会話をしている相手は、

昨日の記事に書いた「ジタバタしていた子供」

だったようだ。

なるほど。これが、嫉妬の正体か。


次に反芻したのは、「私の才能って何か?」だ。

でも、答えが見つからなかったので、

その日は、寝ることにした。

夕べとは違って、ぐっすり眠ることが出来た。


朝起きると、朝のさわやかな空気を

思いきり腹の奥まで吸うことが出来たので、

「嫉妬心を克服したのかな?すごく楽だ」と感じる。


すっきりしたところで、もう一度、己に問うと、

「私の才能とは、自分で自分を救えるところ」

という答えが出てきた。


「え?それって、才能って言えるの?」

苦笑しつつも、首をひねる私。半信半疑。


昨日あれほどジタバタしていた子供が、

「そうだ。私はとても小さい存在だ。

 でも、出来ることはあるんだ」と言っている。


「ああ、そうだよね。

 出来ることをすればいいんだよね。」

と、私はにっこりした。


また一つ、ワーク終了。


(4月20日に記す)