この間、テレビのニュースを見たら、
体育館で過ごす被災者たちの
様子を写しだしていた。
体育館の中での雑魚寝は
プライバシーが保たれないので、
海外から届いた個人用テントが
その体育館の中に整然と並んでいた。
テントの中でホッとした様子の人もいた。
「自分のスペースがあって、落ち着きます」と。
が、その一方で、テントには入らず、
ただダンボールで周囲を囲んだだけの、
上半身が見えた状態を好む人たちもいた。
「テントの中に入ってしまったら、
コミュニケーションが途絶えてしまう。
まだ余震が続く状態なので、
プライバシーを多少犠牲にしても、
人がたくさん見える方が良い。」と。
こういう二つの意見が出ていることを、
私は興味深くニュースで拝見させてもらう。
もし私だったら、明らかに前者である。
テントの中で一人でいる方が、落ち着くタイプだ。
他人との雑魚寝だと、絶対に熟睡出来ない。
しかし、誰かがいると落ち着く(=人の姿がないと不安)
というタイプの人も存在することも理解できる。
だから、こんな風に思う。
個人が住める狭い仮設住宅をポツポツと造るだけでは、
問題は解決しないのだろうな、と。
一人を好む人もいれば、集団生活を好む人もいるし、
また、いつもは一緒だが寝るときだけ一人でいたい、
という複合派もいるはず。
寝られるなら他県でも構わない人もいれば、
やっぱり地元でないと嫌だという人もいるだろう。
それらの、どれが正解かと考えるのは愚問だ。
その人が出した答えが、その人自身の正解なのだ。
幸せの形(その人が楽だと思う形態)は
十人十色なのだから、
色々な意見を持つ人々をサポートするに当たって、
たった1つだけの対策では済まない。
十把一絡げの政策は、もう古いだろう。
乱暴なことを言えば、例えば、国としては
国民の一人一人が大切なので、
「放射能が出ている場所に行ってはだめ」
と全面的に禁止したくなるだろうけれども、
被災者たちが「それでも自宅に戻りたい」
とリスクを納得ずくで主張するのであれば、
その意見は尊重すべきなのではなかろうか。
野菜のことについても、そう。
国が出荷するかしないかなどと管理するのではなく、
被災地の産物であることを提示させた上で
店舗に出荷を許しても良いのではないか?
買うか買わないかは、消費者が決めることだ。
「国が言えば安全だ」などと、国民が
判断を丸投げして済ませる時代ではない。
一人一人が、自分の幸せとは何かを
きちんと見定める時代が来ているんだと思う。
「こうすれば、あなたは幸せになるんだよ」と
誰かに言われても、
自分にとって果たしてそうなのか、
自問自答してみた方が良いような気がする。
何を欲し、何を買い、どう過ごすのがよいか、
どんなサポートをしてもらうが嬉しくて、
またどんなサポートをするのが嬉しいか、など、
それらは全て、一人一人が決めること。
(自分が決めたことだから、文句もないはず)
誰の意見でもない、自分だけの意見を、
胸に手を当てて
今一度、自分にじっくりと問い直してみる。
そうすることによってしか、
自分の本当の幸せの形は
見えてこないのだと思う。