今まで、

「自分探し」という言葉を使っていなかったが、

これまで私がやっていたのは

「自分探し」だったのではないかと思う。


また、「自分探し」のつもりでありながら、

実は「自分探しのためのツール」を

模索していたような気がする。


たとえば、「自分探しのためにインドに行く」

という手もあっただろうが、

「インドに行く」というのは単なる手段であって、

インドに行ったからって、

本当の自分に出会えるとは限らない。


瞑想したり、スピリチュアルの本を読んだり、

夢解釈したり、タロットしたり、

自分なりに過去世を探ってみたりと

色んな事をしたあげく、

それは全部ツールだったことに気づいた。


私が知りたかったのは、「自分」だったのに。


ここまで来てようやくわかったのは、

それらのツールを無理に使わなくても

ただ静かに己を見つめていれば自然と

明らかになってくるものであった、ということ。


ツールに頼っているときは、ひょっとしたら、

自分はすごい可能性を秘めているのかも~、

という壮大な期待を抱いていたが、

探し続けた末にとうとう発見したのは、

ありのままの、等身大の自分だった。


自分についての変遷を簡単に書くと、

最初は、ぼんやりしている→自分に気づく→

ちっぽけな存在?→壮大な存在?→等身大

・・・という流れ。


自分探ししなくても、自分は元からここにいた。

今、一緒にいる。これからもずっと一緒。

さらに、大きさは、今の等身大。なーんだ。


それがわかって、ものすごく、ほっとしている。

やっと見つけたんだ、大事な私。


「自分探し」で見つけたのは、「等身大の自分」。


そして、これからの生き方は、

「等身大の自分にOKを出し続けること」と

「無理しない」という

二点に気をつければ良いんだとわかった。