先日、大河ドラマ「江」を見ていたら、
江のお姉さんが、こう言ってた。
「江の好きな着物くらい、わかります。
私の嫌いな柄を選べば良いのですもの」
その一言で、私の心は妄想の世界に入る。
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私はあまり物欲はない方だと自分では思うが、
おおよその「好み」というものは確かにある。
実は、今までは、ものすごくストライクゾーンの狭い、
その自分好みのものだけが正しく、絶対だと思っていた。
私がAを選ぶとき、Bを選ぶ人を、
「この人は、間違っている!」と思っていた。
けれど、それは、とても尊大な思いだった。
自分の物差しを大事にしすぎて、
他者の物差しをバカにしていたことになる。
Aを選ぶ人もいれば、Bを好む人もいる。
各人が、自分の気持ちでどっちを選んでも、
それはOKなのだと、やっと思えるようになった。
私は、Aを選び、Bを選ばない。
だからといって、Bが悪いというわけではない。
Bが無駄、というわけでもない。
Bは、それを必要とする人の所へきちんと届く。
世の中が、そのようになっているのだから。
Aも悪くない、Bも悪くない。
AかBかを選択する人も、悪くない。
Aが好きな人が、Aを選ぶなら、それは正しい。
Bを好きな人が、Bを選ぶなら、それは正しい。
昔Aを好きであったが、今はBを好きな人が、
今の気持ちに正直にBを選ぶなら、それは正しい。
天のおはからいは、素晴らしい。
何一つとして、無駄がない。
全て、必要なものが揃っている。
捨てる神あれば、拾う神あり。
そんな風に思えるようになってきた。
たとえそれが、
Aが花柄で、Bが千鳥格子でも。
Aが結婚した相手で、Bが愛人でも。
Aが平和で、Bが戦争でも。
元々、良いも悪いもないのなら、
私は、今現在において、自分の好きな方を選ぶ。
自分の物差しの、尊重。
また、同じように、
誰かがその人本人のために選んだことを、
私は「それもありだね」と、
容認していこうと思っている。
他人の物差しの、尊重。
他人の物差しを尊重しようとすると、
何故か私の物差しが大きくなる気がする。
それが嬉しい。
自分の物差しと、他人の物差しの両方を
出来る限り尊重しようとするこんな私を、
きっと天はおおらかに見ていてくださるだろう。
天は、何でもありのごちゃ混ぜな地球を
丸ごと愛してくれる、
大きな大きな物差しなのだから。