先日、突然、パソコンのオンラインが繋がらなくなって、
焦ってしまった。
接続をいじればいじるほど訳がわからなくなって、
もう自力ではどうしようもない気がした。
私はパニックになると、
すわ天変地異かと思うぐらいの動悸が起こり、
体中が震え、いてもたってもいられなくなる人間だ。
本当に逆境に弱い。とことん弱い。
夫が帰宅するまでの10時間ほどを待てばいいのに、
その10時間が待てない。
このパニック状態で10時間も過ごすなんて耐えられない。
とにかく不安から気持ちをそらすために、
手近にあったパズル雑誌を開いて、黙々と問題を解き始めた。
持っている鉛筆が震えるが、しばらくそのまま続ける。
少し動悸が治まったので、今度は床に突っ伏して、
静かに現状を把握する。
「パソコンのネットが繋がらない。」
それについての対策を練る。
「自力で直すのは、もう無理かも。いじりたくない。」
「夫に直してもらうまで、放置」
「ネットのどこかの会社に電話して、サポートしてもらう」
それらの選択肢の内、一番良いのは、夫に頼むことだろう。
帰宅は夜だから、今さし当たって私に出来ることは何か。
パソコンが出来ないことにガッカリするより、
今の時間でしか出来ないことを探そう。
「やれることは、家事。読書。寝る。・・・。」
うん、よし。本を読もう。
返却期限が近いから、読んだ方が絶対良い。
というわけで、図書館の本に没頭することにした。
そうしたら、少しずつ、不安な気持ちが消えた。
冷静さを取り戻してみれば、
ただネットがオフラインになった、というだけのことだ。
パソコン自体は、まだ動いている。
オフラインそのものより、
オフラインによる不安が
私をパニックにするのだなあとわかった。
*****
すると、ちょうど読んでいる本に、
「不眠症について悩むことは、
不眠症そのもの以上に害がある」
という記述があった。
これは、すべての悩みに当てはまりそう。
○○そのものより、○○による不安がつらい・・・。
(○○に、適当な言葉を入力すればいい。)
冷静に事実をきちんと見つめればいいのに、
事実から感じた気持ちにより、心がまいってしまう。
悩みは、事実をはっきり見ようとしない自分の心が
作り出している幻想なのだろうか。
となると、人間の体って、増幅器だ、と思う。
何かをいやだなと思う感情に焦点を当てると、
それが、そのまま増幅されてしまうから。
(それと同じ作用で、
良いなと思う感情も、そのまま増幅されるはず。
だから、小さな幸せを見つけただけで、
案外、心が安らかになったりする。)
今後も不安に打ちのめされる前に、
別の場所に焦点を当ててまず冷静になり、
そののち、物事に冷静に対処しようと思った。
私には、一時避難場所としてパズルや読書がある。
それが、とても嬉しい。