(前回の記事のつづき)


混乱しているのは、自分の中で、

答えが是か非かでうろうろしているからだ。

どうしてこんなに心が揺れるのだろう。


そんなとき、ちょうど読んでいた本

「死の存続」(モーリス・メーテルリンク著)から

ヒントをいただいた。


この本によると、アメリカの哲学者で心理学者でもある

ハーヴァード大のウイリアム・ジェームズ教授は、

当時流行の交霊会について報告をまとめようとしたときに

純粋な(明確な)理論によって霊魂の不滅を

肯定か否定できるものと考えていたらしいが、

作業を進めるうちに、結論が出せなくなったらしい。


最終的に結論を導き出そうとすると、

”(自分にとっては、という但し書きのあと、)

常に揺れ動く感覚」によって導き出さねばならない”

と報告書に書いている。(本書のP.71参照)


ここを読んだときは、「我が意を得たり!」

という気分になった。

「信じる」「信じない」という基準は、揺れるものなんだ。


また、ウイリアム・ジェームズ教授はこうも書いている。

「細部にこだわるなら、交霊会を否定する結論に至るだろうし、

 全体を重視して問題を考察すれば、

 交霊術的な解釈を選択することになるだろう」(P.71)


うん、そういえば、私も少し前のブログに書いた。

DNAは細部にこだわらず、全体を読んで良しとする、って。

つながるなあ、色々と。うれしいな、ワクワクする。


揺れる心は、

その場その場でバランスを取っていくってことか。


じゃあ、信じるとか信じないとかも、

ある時点で私が決めたことを永続させるのではなく、

「今は、こう思う(が変更もあり得る)。」という

ゆるい感覚で良いってことかもしれない。


ああ、なんとなくわかってきた。


私が怖かったのは、こういうことだ。

世間は、変わることが嫌い、という傾向がある。

だから、私もなるべく変更がないように、

きちんと基準をきめておいた方が良いだろうと思ってた。


けれど、世間がどう思うかに心惑わされ、そちらに迎合し、

今ここの自分の基準を取りやめるのはおかしい。


「私は今、こう思う」というのが、私の基準。

揺れ動いて当たり前。それでバランスを取ってるんだから。


細部はもう、どうだっていいや。

私の人生が、自分から見て、

全体的に良しとなれば、それでいい。


腕がグラングラン揺れても、軸がおっこちなければ、

ヤジロベエは大丈夫だ。


はー。もういい。考えるの、疲れた。


・・・って、えーっと、そもそも、何の話だっけ。


そうそう、自分の守護霊をどれだけ信じるか、ってことだ。

正直なところ、うーん、わからん。

わからんのは、その存在が本当かどうかってところ。

でも、言っていることは、結構まともな感じがする。

だから、情報の一つとして、私は客観的に取り入れる。


どんなことも情報としてインプットするけれども、

その情報をどう取捨選択するかは、そのつど私が決めよう。

もう、それで良いってことにする。


「そんな曖昧さは、読者として、許せない。

 守護霊の存在が本当か嘘か、証明しろ。」

とおっしゃる方がいても、証明を提示しようがないので、

すみませんが出来ません、と、あやまるしかない。

ハーヴァード大教授が出来ないことを、私に出来るわけがない。



そんなことを考えていたら、テレビのドラマ「江」で、

大竹しのぶさんが、「好きに理由はない」って言ってた。

そこでまた、ハッとする。


信じる信じないは、主観的なもの。

好き嫌いも、主観的なもの。

AさんがBさんを信じる(or信じない)と、

AさんがBさんを好き(or嫌い)は同じ。


信じることに理由はない。


何を元に基準を決めるか、といったら、

「自分でそれを選択している」ってことだけだ。


*****


ここまで書いてきて、今やっとわかったが、

「守護霊とか書いてますけど、

 真偽のほどは読者にお任せします」ってことが

一番言いたかったんだと思う。


これを言うのに、どれだけ苦しかったんだ、自分。


*****


少し冷静になって、

言いたかったことを箇条書きにしてみる。


1)信じることは、主観的なこと。

2)信じることは、好き嫌いと変わらないこと。

3)信じることは、自分で決めて、自分で責任を取ること。

4)常に客観的になる視点を忘れないこと


4を書くのを忘れてた気がする。


インプットの情報が、

どんなに素晴らしいことであっても

(どんなに馬鹿馬鹿しいことであっても)

判断材料の1つであって、

決め手となるのは、自分がその意見を採用するか否か。


クルトさんも「最終的に決めるのは自分自身だよ」

というようなことを言ってくれるので、安心だ。