(この記事は、11月23日に記す)
仏教の本に三毒という言葉が出てくる。
むさぼり、怒り、無明。
むさぼりは、自己中心的。
怒りには、独占欲、支配欲などが含まれ、
無明は、魂の進化について無頓着。
私は今まで、たとえば自分の怒りについて、
全てダメだと思っていたから、
怒っちゃダメだ、とセーブしてきた。
けれど、そうではなくて、
怒りにも色んな種類があるようだ。
自分の中にわき起こった激情は、
三毒の中に入るかどうかをまず理性で判断して、
毒ではない、と判断したら、
それを外に出してもいいようだ。
(・・・と、書いていても、ちょっと自信がない。)
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実は昨日(11月22日)、
久しぶりに長女に雷を落としてしまった。
将来、福祉関係に就きたいという長女。
その心がけはいいと思う。
(別に福祉でなくてもいい。目標はあった方が良い)
けれども、そこに致るための努力を
まったくしようとしていない。
もう2学期のテスト期間に入ったというのに、
教科書を全く広げようとせず、居間で
ネットやゲーム、メールなどで逃避している。
私は、ずっと注意をせずに今まで見ていた。
いつか、本人が自分で気づくだろうと思ってた。
内なる声に耳を傾けて、
本人がそれに従うようになればいいなあ、と。
しかし、内なる声を聞こうとしない人には、
やっぱり注意しなくてはいけないのでは?
そう。そこのところで、すごく悩んむんだ。
私はお節介なことをしようとしている?
正直なところ、お節介なんてしたくないし。(←エゴ?)
放っておいて、流れに任せていれば、いいんじゃないの?
けれど、心のどこかで堪忍袋の緒が切れたらしく、
つい大声を張り上げ、
「いいかげんに、今の自分の立場を考えなさい!」
を皮切りに、長女に長々とお説教をしてしまった。
長女は私をにらみつけるような目つきをしたあと、
通学カバンをひっさげて部屋に入ってしまった。
あら、勉強する気になった?
1時間後、長女の部屋に様子を見に行ったら、寝てた。
(あとで聞いたら、にらんでいたのではなくて、
猛烈な睡魔に襲われて目が半分しか開かず
私のお説教のほとんどが聞こえなかったらしい。
それでも一応勉強しようと部屋に入ったが、
眠気に勝てなかった と、長女談。)
・・・でも、今回の件で、ちょっとだけ分かった。
私自身としては、
支配欲や独占欲などから注意したのではなかった。
「大丈夫なの?それでいいの?」という気持ちからだ。
長女が欲望の渦にいてなかなか抜け出さないのを見て、
「そこから脱出するためにひっかける足場はここだよ!」
と教えるのは、毒ではないんじゃないか?
でも、その足場を使うか使わないかは
渦の中にいる本人次第・・・と。
それでもやっぱり、人に注意したくなるときは、
ものすごく勇気が要る。
単なる私のエゴによるお節介なのか、
本人の魂の進化の助けと思って言うのなら良いのか、
その辺がすごく難しくて、いつも悩んでしまう。
「あなたは、今のままでいいの?」
とだけ相手に言えばいいんだろうか。
で、その一言で動く人はそれでいいし、
動かない人は、そこにいたいということだから、・・・放置?
声をかける、かけない。放置しない、放置する。
・・・って、ここで悩むのは、何故だ。
きっと、「正しい答え」に拘る私に問題があるのだろうなあ。
スッキリするまで、引き続き、考えてみよう。
(あー、今回は、新しい学びに入ったので手探りだよぅ。
断定的に記事を書けない・・・。)