スピリチュアルの本には

「喜ぶことをしよう」という言葉が出てくる。


うん。「喜ぶこと」は、いいかもしれない。


けれど、「ん?ちょっと違うんじゃないか?」

というニュアンスの喜びさえも

良しとする風潮もあるように思えた。


けれども、今の私の指針の中には

「真の喜び」を見分ける明確なすべがなくて、

どうしたものかと思ってた。


が、今読んでいる本から、指針をいただいた。


魂には、元々、「喜びたい」という気持ちがあるようだ。


けれど、ゆがんだ心のままでいると、

ゆがんだ喜びで満足するらしい。


肉体的感覚の満足、感情の満足、欲望の満足。

これらの満足だけで喜ぶのは、

魂の進化が止まっている、ということらしい。


私たちが本当に喜んで良いのは、

「魂が進化しているかどうか」

ということ・・・と、その本にあった。


そうだったのか!指針をありがとう!


「魂の進化こそが、真の喜びである」

というのを、私の今後の指針としたい。


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素晴らしい香りの入浴剤に浸かる幸せは、

体の満足にはなるが、

魂の進化に役立っているとは思えない。


自分の中の怒りを周囲に吐きちらして、

自分だけスッキリ満足するのは、

感情的には満足かもしれないが、

魂の進化に役立っているとは思えない。


欲しい物をありったけ買い物したとき、

一時的に物欲は満足するかもしれないが、

魂の進化に役立つ買い物でないなら

それは、真の喜びに繋がらない。


もちろん、入浴剤を使うことも良いし、

怒りを誰かに聞いてもらうのも良いし、

欲しい物を買うことも楽しくて良いだろう。


けれども、それらの喜びだけが全てではない。


さらにもう一歩踏み込んで、

いつでも自分の成長を喜べる自分でありたい。


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それにしても、この指針が出来て良かった。


というのは、ちょっと混乱していた時期があったから。


大きな直感を得て、心の満足があった。

そのあとで、さあ次に何をしようかが

どうにもわからなくなってしまった。


心は大いに満たされている、ということは、

これから地球上で好きなことをしていいんだろうな、

とりあえずは、美味なケーキを食べようかな、

というような気分になったのだが、

「あれ?ちょっと違う気がする。

 でも、どこが変なのかわかんない・・・」

と思ったりもした。


もちろん、これからだって人間なのだから、

美味しいケーキを食べても良いんだけど、

それは単に肉体の充足や味覚の満足だけ。


魂の進化の過程を考えると、

せっかく精神の発達あたりまで来たのに

また肉体的満足のみに身を置こうとするのは

逆のベクトルであろう。


肉体も感覚も感情も大切にするけれど、

さらに真の喜びを深めるために

私は霊性進化の先にある

魂に向かって歩を進めることにしようと思う。


そして今まで味わったことのない

新しい喜びを手に入れたい。


心を磨き進歩することが喜び。

その進歩には、終わりはない。


だとしたら私は、永遠に喜びと共にある。