先日、軽率なコメントを人のブログに書いてしまい、

しばらく我が身を振り返る良い機会になった。


人のことをとやかく言っている場合ではなかった。

そのことにハッと気がついた。


自分を磨くことに専念しよう。

これが初心だった。思い出した。

初心にかえろう。そうしよう。


そう思い立った絶妙のタイミングで、

図書館から予約本が届いた。


「写真で学ぶ掃除道」だ。


(予約時点では、初心などと考えもしなかった。

 ビジュアル本もあるのか、借りてみよう、という軽い気持ち。)


密かに勝手に師匠とお呼びしているが、

鍵山秀三郎さんの

黙々と掃除される姿のスナップ写真と、

掃除の手順と、彼の哲学が書かれている。


写真を見ていたら

鍵山さんの掃除するトイレよりも

我が家の台所の方が汚い(!)と気づかされ、

本を途中で止めて

すぐに台所に立ち、壁のタイルを磨いた私。


本当に影響されやすいことよ。


1カ所きれいにすると、他の所もやりたくなる。

あっちもやろう、こっちもやろう。手が止まらない。


「ギャー、今日はもう勘弁してください」

と自分が悲鳴を上げるまで掃除をしてから、

また本の所に戻って、続きを読んだ。


「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」とか

「足下のゴミひとつ拾えぬほどの人間に

 何ができましょうか」

という言葉が載っていて、そのたびに

「ひー、今まで、さぼっていてすみませんでした」

と本にひれ伏してしまう。


立派な有言実行者の言葉は、

グイグイと胸に迫ってきて、

「どこまでもついていきます、師匠!」

という気持ちになる。


今回、新たに気づかされたのは、

「私は、この吸い殻や空き缶などを

ただ拾うことだけが目的ではなく、

日本をゴミひとつない国にしたいと思っています」

という鍵山さんのお言葉から。


今までの自分は掃除をする際、

掃除すれば自分の心がきれいになる、という

本当に小さな「我が事的気分」だったのだが、

それよりももっと大きな目標設定が

大事だったのだなあとわかった。


「きれいだから今日は掃除をしなくてもよい、ではなく、

 毎日掃除をすることそのものに意味がある」

というニュアンスの言葉の重みにも、

今更ながらに、「あー、そういう意味だったのか」

と心に深く染み入るのだった。


読むたびに、襟を正したくなる鍵山さんの著書。


私はまだまだ傲慢な所があるので、

掃除を通して謙虚な気持ちを培いたい。


公衆トイレの清潔さを当たり前と思わず、

「誰かが掃除してくれている。

 気持ちよく使わせてくれてありがとう!」

という気持ちをいつでも思い出せる人間に

成長したいものだよ。

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