突然だが、私は「ツンデレ」な人は嫌いだ。
何故嫌いかというと、
自分自身にも多少のツンデレ要素があるせいだろう。
それに、他者がツンデレであった場合、
行動の裏を読まなくてはならないので、
正直、面倒臭いのだ。だから、ツンデレは嫌い。
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ツンデレとは何か。実は、定義が難しい。
心と裏腹な態度を取る人、という認識を私は持っている。
つまり、「好き」なのに、「嫌いという態度を取る」。
あるいは逆に「嫌い」なのに、「好きという態度を取る」、みたいな。
周囲の状況を読み取った上での、天の邪鬼。
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主観は、このような流れで進行することがほとんどだ。
(1)思い →(2)行動や言葉で表す →(3)その結果を見る
で、1と2の間を仮に(A)として、2と3の間を、(B)とする。
(1)→(A)→(2)→(B)→(3)という流れ。
(A)と(B)は、目に見えない心の動きとする。
で、ツンデレな人は、1から2へ移行する時の(A)に、
エゴが出現して、1が素直に出ずに、ねじれた2が出る。
なぜ(A)で、発信側のエゴが出現するかというと、
いくつかの理由が考えられるが、
・自分の本当の気持ちを伝えるのが恥ずかしい
・自分の本当の気持ちを拒否されるのが怖い
・自分の本当の気持ちが、自分でよくわかっていない
というようなことがあげられるのではなかろうか。
故意にしろ無意識にしろ、ツンデレな2の行動をして、
3の結果を受け取ることになる。それにより、
・ねじれた2が自分の本当の気持ちだと勘違いする
・どうして自分の本当の思いが伝わらないのか怒る
・愛されるのはツンデレな自分であり、
本当の自分は相手に愛されないのだと思う
・・・などと、さらにねじまがった認識が生まれるのだ。
あー、面倒くさい。
だから、(A)で、エゴの介在を許さず、
思いと言葉と行動は、一致させた方がいいんだ。
そうすれば、自分も他者も混乱せずに済む。
「好き」なら「好き」と言えばいい。
「嫌い」なら「嫌い」と言えばいい。
1と2をストレートにつなげて、そのまま3を受け取る。
これが一番シンプルだ。
ここまでが、主観的な在り方。
では、アクションの受取り側はどうだろうか。
他者の思い(1)と、そこに介在されるエゴ(A)は
当然、ブラックボックスだ。
目で見えるのは2から、ということになる。
受け取り側は、その2により、3の行動を起こすことになる。
その際、相手の2によって、
(B)の時点に、受取り手のエゴを入れない、
ということが大切になる。
受け取り側のエゴとは、
・受け取るのが恥ずかしい
・相手の本当の気持ちかわからないから不安
・足りない。もっと欲しい。
・・・など、というような内容になる。
2を受け取って、(B)でエゴを付け足し、
ねじ曲がった3を表したら、
これまたツンデレ者になってしまう。
だから、相手が正直者だろうが、ツンデレだろうが、
相手の2の、ありのままを見て、受け取ればいい。
2を受け取ったとき、
自分の感情を素直に噛みしめればいいんじゃないか。
素直な感情を、3で表せば良いんじゃないだろうか。
というわけで、ここもまたシンプルになる。
結局、シンプル イズ ベストだよなあと、私は思う。
私たちのこれまでの生き方って、
AとかBの時に、それぞれのエゴを介在させていたから、
よけい話がややこしくなっていたんじゃないだろうか。
「脱・ツンデレ」を、私はスローガンにしたいくらいだ。
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ところで、うちの長女は、
ツンデレな人が大好きだ、という。
えー?何で?
聞けば、ツンデレには、可愛げがあるらしい。
ふーん、そうなのか。
(A)で曲がって、(B)で曲がったら、
1から3まで、ストレートにつながるのだろうか・・・。
人間とは、まことに、複雑怪奇だのぉ。