おとといの記事に、

「天使の観察」を書いた。


昨日の記事は、

図らずも「神の視点」が出てきた。


ふたつの違いを、この記事で書きたい。


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昨日の記事で、浅はかにも私は自分のメモを

「神様から見てどうでしょうか?」と尋ねていた。


が、自分の答えが合っているかどうかを尋ねると、

「神の視点」という名の「エゴ」が、顔を出してくる。

神よ、って呼べば、

必ず、本物の神が出現する、というわけではないのだ。


神に尋ねているように見えて実は自分自身のエゴに、

「エゴから見てどうでしょうか?」と尋ねているのだから、

エゴは神のフリをして、こういうだろう。


「なんて偉そうなのだ、小さな人間のみにもるよ。

 今のお前は、まだまだ修行が足りないのだ。

 小さな頭で考えてもしょうがないだろう。

 私の言うとおりにしなさい。

 そうすれば、間違いはないのだから。」


こんな風に、高飛車な回答をよこしてくる。

裁く神のフリをして。本当の正体はエゴのくせに。


そもそも、私自身が、自分のメモに対して、

多少の不安を感じたから、エゴを呼んでしまった。

(その点については、今後気をつけよう。)

この不安は、「間違っていたら、どうしよう」から来た。

エゴは、不安や不満が大好きで、

「おお、呼ばれたぞ~♪」と嬉々として現れる。

そして、「お前が悪い」とか「誰それが悪い」とか、

あることないことを吹き込んで、不安を増長させる。


「私は弱いんです。なんとかしたいのです。」

とエゴに相談すると、

「弱いお前は、本当のお前ではない。

 私が力を貸してやろう。こうすればいい。」などと、

親身なフリをして、身を破滅させる方法を伝えてくる。


「神を呼んでいるつもりで、

 エゴを呼んでいないか?」

と、つねに自分に問いかけなくてはならない。


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一方、「天使の観察」は、全然違う。


天使の答えは、たったひとつ。

「それでOKです。観察を続けなさい」だけ。


「私は弱いんです」

「それでOKです。観察を続けなさい」

「私はこんなメモを書きましたが、どうでしょう」

「それでOKです。観察を続けなさい」

「私は今日、暴言を吐いて、落ち込んでいます」

「それでOKです。観察を続けなさい」


「は?」と目が点になるしかないが、

自分の心の動きをじっくりと見ている内に

なんだか気分が落ち着いてくる。


心の荒波が落ち着いてくると、不思議と

弱い自分を受け容れられるようになるし、

メモの不備も自分で気がつくようになるし、

暴言を吐いてしまった相手に対して

素直に謝れる自分になっていったりする。


だから、私は、「天使の観察」を支持する。


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ちなみに、

ここで「神」とか「天使」とか書いて比較したが、

これは便宜上の仮の名称であって、

「天使の方が神よりすごい」という意味ではない。


ぶっちゃけ、この記事で言いたいことは、

「不安なときほど何もせず、まず落ち着け」

ということだ。