これまでの一連の流れ。
1) 昼、不機嫌な次女を、ハグで包む
↓
2) 同日の夕方、傍若無人な小学生たちが現る
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3) 同日の夜、怒りを静めるノート記入
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4) 翌朝の明け方頃、芸能人の夢を見る
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5) 朝起きてから、ふと、直感を受ける
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6) 今朝の夢の分析をする
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7) 直感の意味を知る
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5)の、朝の直感のことを書く。
朝食の仕度をしているとき、
小我(エゴ)よりも、大我を選ぼうとしている自分を
はっきりと感じていた。
ふと、夕べのノートのことを思い出す。
私は、別の道を歩き出している。うん、確実に。
すると、エゴの声が私にこんなことを言い出した。
「お前はいったい、何をしようとするのか。
神の操り人形になるつもりか?
エゴがお前であり私なのだから、
エゴの私を無視したら、
お前もいなくなるんだぞ。
そこには神しかいなくなる。
そういう図式じゃないか。それでいいのか?
私は、言ってみれば、『過去の蓄積』だ。
過去を否定していいのか?
今までの努力をなかったことにするのか?
せっかく地球に生まれてきて
経験してきたこれまでの意味が
無くなってしまうではないか。」
なんだか、エゴの言い分もわかる気がした。
操り人形という言葉に、ドキリとする。
でも、このままだと、エゴの操り人形のままとも言えるし。
私は、どうしたいのだろう。
そこに、直感(大我?)の声が入ってきた。
「過去を否定するわけではない。
ただ常に、自分の新しい面を出していくということだ。
新たな経験を重ねていくということだ。」
直感の声が、私の不安を吹き飛ばした。
エゴの声は、消えた。
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家族が朝出払った後、夢分析をしたあとに、
やっと、この直感の言葉の意味がわかった。
夢と直感がリンクする。
エゴに彩られた過去の蓄積と、
私は決別(離婚)した。
新しい人生のスタートに不安で、多少の涙が出る。
でも、自分の弱い面を受け入れた上で、
新しく歩き出そうとする自分もいる。
常に新しくなろうとする自分がいる。
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この長いシリーズっぽい記事を書いているとき、
夜に開いたノートをもう一度読み返して
ブログにそのままを書き起こそうとした。
すると、去年の今頃に書いた古いページの記述が
偶然にも目に飛び込んできた。
この過去の一文は、ふと浮かんだ言葉を、
ささっと書き留めた程度のメモだった。
そこには、こう書いてあった。
2009 9/23
私はいつも、今までの自分の知識になかった
新しい愛し方を知ります。
なんという、タイミングの良さだろう。
今の自分にピッタリの言葉かも。
新しい愛し方(愛するやりかた)は、
過去の蓄積から見つけられるわけがない。
私は手探りで、前に進むだけ。
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(ここからは、後日記す)
結局、小学生の集団は、あれから来ない。
ということは、試練クリアということだな。
よしよし。万事OK。自分はうまくいってる。
「相手を愛の気持ちで迎える」という課題を
無事に合格できて良かった。
(実際に行動を起こしたかどうかではなく、
動機がきちんと定まったかどうかが焦点。)