これまでの一連の流れ。


1) 昼、不機嫌な次女を、ハグで包む

 ↓

2) 同日の夕方、傍若無人な小学生たちが現る

 ↓

3) 同日の夜、怒りを静めるノート記入

 ↓

4) 翌朝の明け方頃、芸能人の夢を見る

 ↓

5) 朝起きてから、ふと、直感を受ける

 ↓

6) 今朝の夢の分析をする

 ↓

7) 直感の意味を知る


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5)の、朝の直感のことを書く。


朝食の仕度をしているとき、

小我(エゴ)よりも、大我を選ぼうとしている自分を

はっきりと感じていた。


ふと、夕べのノートのことを思い出す。

私は、別の道を歩き出している。うん、確実に。


すると、エゴの声が私にこんなことを言い出した。


「お前はいったい、何をしようとするのか。

 神の操り人形になるつもりか?

 エゴがお前であり私なのだから、

 エゴの私を無視したら、

 お前もいなくなるんだぞ。

 そこには神しかいなくなる。

 そういう図式じゃないか。それでいいのか?


 私は、言ってみれば、『過去の蓄積』だ。

 過去を否定していいのか?

 今までの努力をなかったことにするのか?

 せっかく地球に生まれてきて

 経験してきたこれまでの意味が

 無くなってしまうではないか。」


なんだか、エゴの言い分もわかる気がした。

操り人形という言葉に、ドキリとする。

でも、このままだと、エゴの操り人形のままとも言えるし。

私は、どうしたいのだろう。


そこに、直感(大我?)の声が入ってきた。


「過去を否定するわけではない。

 ただ常に、自分の新しい面を出していくということだ。

 新たな経験を重ねていくということだ。」


直感の声が、私の不安を吹き飛ばした。

エゴの声は、消えた。



****


家族が朝出払った後、夢分析をしたあとに、

やっと、この直感の言葉の意味がわかった。

夢と直感がリンクする。


エゴに彩られた過去の蓄積と、

私は決別(離婚)した。


新しい人生のスタートに不安で、多少の涙が出る。


でも、自分の弱い面を受け入れた上で、

新しく歩き出そうとする自分もいる。

常に新しくなろうとする自分がいる。


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この長いシリーズっぽい記事を書いているとき、

夜に開いたノートをもう一度読み返して

ブログにそのままを書き起こそうとした。


すると、去年の今頃に書いた古いページの記述が

偶然にも目に飛び込んできた。

この過去の一文は、ふと浮かんだ言葉を、

ささっと書き留めた程度のメモだった。


そこには、こう書いてあった。


2009 9/23

 私はいつも、今までの自分の知識になかった

 新しい愛し方を知ります。



なんという、タイミングの良さだろう。


今の自分にピッタリの言葉かも。


新しい愛し方(愛するやりかた)は、

過去の蓄積から見つけられるわけがない。


私は手探りで、前に進むだけ。



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(ここからは、後日記す)


結局、小学生の集団は、あれから来ない。


ということは、試練クリアということだな。


よしよし。万事OK。自分はうまくいってる。


「相手を愛の気持ちで迎える」という課題を

無事に合格できて良かった。


(実際に行動を起こしたかどうかではなく、

 動機がきちんと定まったかどうかが焦点。)