どこかで聞いた話だが、プロの彫刻家は、

まだ削る前の素材(石など)を見ると、

その中にある芸術品がすでに見えるらしい。


丸太を見て、仏師はそこに仏を感じ、

あとはその仏を取り出す(掘り出す)だけ、とか。


この話を聞いたとき、

そんな能力をうらやましいなあと思った。

石や木の中に潜在する美を見つけられるなんて、

なんとすごい透視能力だろうかと驚嘆した。


きっと、その芸術家たちの目は、

X線のように中のものを見通すことが出来るのだろう。

カバンの中の危険物を見つける、

税関の金属探知器のような目なのだろう、と。


素人の私が、学校の美術の時間に

与えられた石膏の塊をいくら彫刻刀で彫っても

見つけたい形は発見できなかった。

そこに入っている美の形を

きちんと見極めることが出来たらいいのに・・・。


私は、中の美を

うっかり傷つけてしまうのではないかと恐れ、

彫刻刀を掘り進めることが出来なかった。

石膏の中の美を見抜ける透視能力が欲しいものだ。


けれど、最近になって、

美術家の彼らが持っているそれは

透視能力ではないということに気づいた。


美はどこにあるのか。

それは、美術家の頭の中だった。

素材の中ではなかった。


美術家の目は、心の美の映像を面に出す、

プロジェクター(映写機)だったのだ。

石や木は、単なるスクリーンだった。

そのことに、思い至った。


美を、外側で見つけようとしたのが、

そもそもの間違いだった。


美は、人間の心の中にあるのだ。


外界のスクリーンに映し出される景色は、

自分の中の、イデアの風景。


単に彫刻刀や絵筆、楽器を扱うのが下手だから

自分には美や芸術がわからないのだ、などと

がっかりする必要はなかった。


私は、文章をつづることで

自分の中の美を表現すればいい。


美を表現する方法は、それこそ何万通りもある。

得意な分野で、それを外に出そうと思った。


仮に、まったく美の表現能力がないとしても、

今自分の見る景色を美しく感じるのであれば

いったい何を嘆く必要があるだろうか。


美はここにあるのに。