ふと疑問に思ったこと。
学校では先生が生徒に
「君たちには無限の可能性がある」
などというが、それは本当だろうか?
私はその可能性について、
捉え方の一部は正解で、
一部は不正解だと思う。
子どもを電化製品に例えてみる。
ある子どもは冷蔵庫で
ある子どもはテレビ、
他の子は電子レンジ・・・。
それぞれ特有の個性がある。
けれどもこれまでの教育は、
冷蔵庫に「テレビ番組を映せ」と言ったり、
「お弁当を温めろ」と言ったりしなかっただろうか。
オールマイティな電化製品であれと
画一化した教育をしたために
その子本来の仕事ややる気を削いでしまって、
結局、社会全体の益を下げている気がする。
本当の教育というのは、
国語の読み書きと算数の計算を教えて
最低限の生活が出来るようにしておくのが基本。
で、それ以外の勉強は、
各子どもの、興味ややる気、
素質に沿ってあげるのが良いように思う。
もちろん、個人個人だけを見たら、
あるものはものすごく出来て
ある分野では全然出来ないことになるだろう。
けれど、地球全体から見たら、
案外バランスが取れるのではなかろうか。
冷蔵庫の可能性というのは、
電子レンジやテレビの仕事も可能になるだろう、
というのではなくて、
冷やしたり格納したり保存したりと
冷蔵庫本来の仕事を幅広く
きっちり出来るようになる、
というのが本当の無限の可能性のように思う。
その子本来の形を見て
一番ベストの形で伸ばしてあげること。
それがこれからの教育に必要な気がする。
全てが平均的に出来る丸い子どもも良いが、
凸凹な子どもたちも
大きな可能性を秘めているはず。
というか、まん丸な子なんて、
本当はいないのかもね。