タイトルだけが空から降ってきた。

曖昧模糊とした中で書き始めることにする。


昨日の記事では、

「自由などと言いながら、

本当は不自由」という趣旨を書いた。


が、今度は、その反対を書くということに・・・。

うーん。記事のラストは、どうなるんでせうか。


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この間、ママ友たちとランチをした時に、

趣味の手芸の話になった。


手編みが趣味のお母さんは、

赤子の昼寝の時間に、編み物をしていたという。


乳幼児の育児は24時間態勢なので、

お母さん方は、本当にしんどい。不自由だ。


でも育児の隙間時間をどう過ごすかは、自由だ。

仮眠して疲れを取る人もいれば、

その時間がもったいないと編み物をする人もいるし、

私のように読書時間に充てる人もいる。

スキンケアにいそしんだお母さんもいらっしゃった。


不自由な中にも、自由が入り込んでいる。


そもそも私は「今は不自由だ」と言っていても、

どの辺が不自由なのか、実は明白ではなかった

ということに気がついた。


自由とか不自由って、いったい何だろう?


人間として肉体や時間、日常生活の制限があるから、

確かに「不自由」な面がある。

けれど、私はいつでもその中で、

「私なりの自由」を選択している。

謳歌しているではないか。


日本にこれだけたくさんの余暇の潰し方があるのに、

私は、今日、読書を選択している。


図書館の膨大な書籍の中から、

私は自分の好きな本を選び出して読んでいる。

(本なら何でも良い、というわけでもなかった。)


不自由な枠があるけれども、

その中でのベストチョイスの連続で、「今」がある。


もし、この不自由な枠がなかったら、

ひょっとすると目移りばかりしてしまって、

「自分にとってのベスト」を選択するのが

もっと難しくなってしまうのかもしれない。


不自由なところがあるからこそ、

その中で選んだベストが愛おしいのかもしれない。


願わくば、これからもずっと

ベストチョイスだらけの人生でありますように。


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神様、ありがとう。

あなたのおかげで、人生の選択が容易です。

なぜなら、あなたは、いつでも私を、

私にとっての最高で最適なポジションに

置いてくださるからです。


このポジションを「不自由だ」なんて言ったら、

それこそ、バチが当たるってものですよね。

「今ここ」というベストポジションで、

選択の自由を許してくださり、ありがとう。


不自由と自由のおかげで、

さらに「自分を知る」ことが出来ます。ありがとう。


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そっか。ここまで書いて、やっと、腑に落ちた。

自分自身を知るために、

「今ここ」にいるんだ・・・。しみじみ。