先日、初めて、
小学校での読み聞かせボランティアをした。
担当の教室に入り、
机と椅子を全部後ろ側に下げて、
子どもたちは私を真ん中にして座り、
半円を作る。
持ってきた絵本を子どもたちに見えるように広げて、
私は読み始める。
同じボランティアのお母さん方も
自分の番では無いとき
(読み手は1日1人だけ)は
教室の後ろから見学している。
なにぶん、初心者なので、
上手に出来るか自信はなかったが、
はっきりと声を出そうと心がけた。
周りから、時々息を呑む声もしたので、
ちゃんと聞いていてくれてるのだろうが、
それ以外には子どもたちの反応が薄かったので、
終わった後も「うーむ。これで良かったのだろうか」
と、一抹の不安がよぎった。
教室を出て、廊下でボランティアたちで集まった。
その中のベテランの一人が
「あのね、本の持ち方が逆だったわよ。
(身体の左側に持つべきだった。)
あと、本の下から手を添えてね。云々」
と、いくつか、私にアドバイスしてくれた。
「・・・あ、そうですか。ありがとうございます。」
と私は礼を言ったのだが、
心の中で、じわじわと反感が湧き起こった。
「どうしてそういう大事なことを、
もっと早く言ってくれなかったのか?!」
という思いだ。
私の心は、まだどこかに完璧主義な部分があって、
失敗すると、とたんに自分を許せなくなってしまう。
「失敗した。私はへたくそでダメダメだ。」 ← 自分を悪く言う
「アドバイスを伝えるのが遅い、この人が悪い」 ← 相手を悪く言う
「もう、やりたくない。恥をかきたくない。」 ← 責任放棄 逃避
完璧主義の穴にストンと落ちてしまうと、
自分の周りの世界が、悪意の塊に感じてしまう。
けれど私は、その考え方を、すぐさま頭から振り払う。
「有り難いアドバイスをいただけた。
これをふまえて、次はもっと上手に出来るだろう。」と。
考え方を切り替えただけで、
アドバイスをくださった方に感謝の気持ちが湧き、
次へのトライが待ち遠しくなったりするのだった。
人間の(少なくとも私の)心は、本当に単純だ。
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スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんは、
「悪意 善意」というタイトルの本を上梓している。
このタイトルにちなんで話を進めたいが、
通常私達は、他者へ
意識的であれ無意識であれ、悪意か善意を乗せて
言葉を発したり態度で示したりする。
だから出来るだけ、自分からアウトプットする際は、
「善意を乗せた方が良いよね」という話である。
けれど、今回の件で学んだのは、
反対の立場から見た場合。
相手からいただいたものはどんなものであれ、
「善意として受け取ろう」ということを、私は学んだ。
アウトプット(差し出すもの)も良いものを出し、
インプット(取り入れるもの)も良いものとして受ける。
そういう気持ちが大切だなあと、しみじみ感じた。
何故そんな風な思いで
いちいち、やりとりをしなくてはならないのかと
疑問が湧く人もいるかもしれない。
もちろん、どんな風にインプットアウトプットしようが、
それはその人の自由なのだ。どうぞ、お好きなように。
ただ、少なくとも今の私は、
善意のインプットアウトプットが気持ちいいだけ。
自分にとってのベストを差し出した、
あるいは、価値のあるものをいただいた、という気持ちが、
私自身から見える周りの世界をパーッと明るくしてくれる。
それによって、「今、ここ」が、私の幸せのひとときになる。
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さて、次の私の番は、2学期になるだろう。
今回のアドバイスをきちんと取り込んで、
次回、頑張ろう。うん。^^
そんなとき、教室から一人の男の子が出てきて、
「今日は、ありがとうございました」
と私に、丁寧にお礼を言ってくれたのでびっくりした。
思いがけなかったので、うれしかった。
さらに今度は、次女(次女のクラスでやった)が
私の所へやってきて、
「その本、図書館で借りたの?
家でもう一度読みたい~」
と言うので、今日返却するつもりの本だったが
一日だけ見送ろうと思った。
(読み聞かせのために借りた本は
自分の子どもにも内緒であり、
本番当日に我が子にも楽しんでもらう、
という、当ボランティアの意向による。)
読んだ本に興味を持ってくれたのが
たった1人でも2人でも、いてくれたのなら、
もうそれで十分報われた気がした。
ちなみに、今回の読み聞かせ本はコチラ
絵にインパクト、ありすぎ~。 ↓
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ついでと言っては失礼だが、
こちらの本もご紹介。↓
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全ての物事を、善意として受け取るか、
悪意として受け取るかは、自分次第なんだね♪
