ギリシャ神話のナルシスは、
水面に映る自分を美しいと思い、
飽きもせずずっと見ているうちに時が経ち
結局そこでやせ衰えて死に、
水仙となった、とかいう話がある。
私も、そんなナルシスのように、
ただ自分の姿をずっと見続けている。
自分にうっとりする、というよりは、
嫌な自分もしっかり見たい、という気持ちだが。
心が騒ぐと、鏡代わりの水面が揺れるので、
自分の姿がぼやけてしまってよく見えない。
なので、なるべく、心の状態を平静にせねば。
今日こそじっくりその姿を見ようとして
いつも鼻息が荒くなる。
落ち着いていれば
リカちゃんハウスを上から覗くように、
自分の生活を見ることが出来る。
私の「リアル生活」などというものは、
実は水のスクリーンに映り込んだ虚構でしかないと
最近、強く感じる。
湖をのぞき込む私が実体。
水鏡がいくらリアルに映し出そうとしても、
それはやっぱり本当の私ではない。
水に映る私が、何かを得たり失ったりしても、
それはテレビドラマの小道具みたいなもので、
実体の私は痛くも痒くもない。
実体の私は、増えもしなければ、減りもしない。
死んでこの世から去ったなら、
持ち帰ることの出来ない物質に執着することもない。
物質的な持ち物など、どうでもいいことだ。
私は、水に映った自分の行動を見る。
普段の行動は、嘘をつかない。
いくら良く見せかけようとしたり、
悪ぶって見せようとしても、
必ずどこかに真実が浮き彫りになる。
そんな自分の真の姿を、
今日もじっくり観察するとしよう。
自分のことをもっと知りたい。
ただ、それだけの思いしかない。
・・・いつか、水面の自分に飽きるときが来るだろうか。
飽きたのなら、それでもいい。
その時は立ち上がって、周りに目を転じてみる。
そこは、緑豊かで静かな森の中だ。
美しい湖のそばに立つ実体の私が、
満足げにふうと息をつき、軽く伸びをしたあとに、
未練もなく湖から、ゆうゆうと去っていくだけ。