とある日曜の昼下がり、小腹のすいた夫が
自分でインスタントラーメン
を作ろうとして
なべでお湯を湧かし始めた。
それを見て「(私が代わりに)作りましょうか?」と
声をかけたら、夫は少し考えて
「いや。いいよ。自分で作る。
」と返事。
「あ、そう。
」と私は、さっと引き下がった。
その後、何日も経ってから、ふと、
このエピソードを思い出した私。
「夫は天の邪鬼だから、
『私がやる』って言うと、『いや、俺が』って
言うんだよね。なんてわかりやすいのかしら。
本当は私は作りたくもなかったけど、
先んじて言っておけば、夫は自分で作るんだよね。
夫を操縦できるようになって楽だよね~
」
・・・と、心のどこかでつぶやいている自分がいた。
その意見には、ちょっと納得できなかったので、
反論してみた。
「いや、別に、夫を操縦したいとかは思ってないよ。
確かに、”ラーメンを作りたい気持ち”もなかったけど
”作りたくない気持ち”もなかったよ。
気がついたら「作ろうか?」と言ってただけ。
「Yes」って言われたら、気持ちよく作っただろうし、
「No」って言われたから、そのまま任せただけ。
そんな風に、後付けで
いらない話をくっつけるのは、どうかと思うよ。」
夫の操縦・推進派は、押し黙ってしまった。
最近の私の行動の動機には、
まったく深い意味が存在しない。
「ラーメンを作ろうか」には、
その言葉通りの意味しかない。
今回の件も、
たとえば、夫にもっと愛されたいからとか、
思うように夫を操縦したいからとか、
優しそうな人に見えるよう偽善的になろうとか、
ラーメンと関係のない動機は、まるで存在しない。
言いたいから、言う。やりたいから、やる。
さらに、相手に無理強いはしない。
シンプルすぎて、笑っちゃうくらいだ。
そして、このスタンスは、とても気が楽である。
けれど、あとになってから色々と言ってくる側面が
私の心の中にまだ存在している。
イイコって言われたかったんでしょう?
優しい人って言われたかったんでしょう?
うまいこといって、自分だけ逃げたんでしょう?
・・・などなど。
過去には、そういうことを言う「もう一人の自分」に負けて、
「ああ、私の行動の裏にそんな意味があったなんて。
自分はどうしてこうも嫌なヤツなんだ。」
と凹んだりもしたが、今は負けない。
というか、気にならなくなった。
私は良いヤツでもないが、嫌なヤツでもない。
的はずれのことを言われたって、別にへっちゃら。
私の現在の動機は、ほぼ透明のガラスなので、
そこに後から勝手にペンキで色をつけられても、
すぐ洗い流せるようになっている。
透明な行動、というのは、他の動機を寄せ付けない。
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「夕日が背中をおしてくる」という歌があるが、
今の私は「動機があとからやってくる」という感じ。
夕日で一時は背中が赤く見えても、
私自体は全然染まっていない。
それと同じように、後付けのちゃちな理由など
今の私とは全く関係がない。
「それは私の色じゃありませんから。残念!」
と懐かしのギター侍のように、切って捨てるだけ。
自分の透明力が、今はとても心強い。