スピの本には、

「自我をなくす」と書いてある。

これは、どういうことか。


今までの自分の考えでは、

「自我をなくす」とは「我が身の一部を削る」ことであり、

「自分の一部が欠けてしまう」というような感じがして

嫌だった。それは、欠落感へのおそれ。

タマネギを剥いて剥いて、芯だけになるイメージ。

そんなの、すごくさびしいではないか。

自分のものが減るなんて、

誰だって嫌になるのではなかろうか。


けれども、本当は、

「身を少なくする」という意味ではなかった。


「大掃除」の意味だった。


自分についた汚れを洗い落としていく作業だった。


自我という言葉には、

漢字の「自分」の「自」がついているから、

なんとなく自分がすり減る感じかと思った。

でも、勘違いだった。

自分についた汚れだった。


最初は、ピカピカのガラスのコップだったのに、

泥水の中に落っこちて、泥が付いてしまったとする。


長くそこに浸かっていると、こびりついてしまって、

まるで汚れも自分の一部の気がしてくる。


でも一念発起して、本当の自分を見つけるために

自分に合うやり方で、泥を落としていく。


泥は、自分の一部ではない。

昔は一部だったかもしれないが、それも一時のこと。


「この部分はひょっとしたら、真の自分ではないかも」

「これはもう必要ではないかも」

という部分を見つけたら、こそぎとって、流していく。


それが、「自我をなくす」という作業の

本当の意味のようだ。


だから、私はもう、我が身の洗浄をおそれない。


私は増えもしなければ、減りもしないのだから。


ただ、輝きを取り戻す作業を、毎日行うのみ。