娘が通う学校にある石碑の言葉。
「環境が人間を作る。
その環境は人間が作る。」
その言葉はある意味正しいと思う。
けれども、自分の作る環境が
どんな風になるかは作ってみなければわからないし、
また、作り出すことの出来た環境によって
自分がどう変わるかは予測できない。
「こうなったらいいのに」というイメージはあっても、
その通りになる可能性は低い。
だから、環境を作り出す場合には、
真・善・美である動機が必要になる。
また、環境から受け取るイメージも
それぞれ個人の心次第による。
インプットもアウトプットも真・善・美であること。
心理学にロールシャッハテストがある。
半分に折った画用紙を開き、
片側に絵の具を落とす。
先ほどの折り目で合わせて
もう片側にも絵の具を擦り合わせ、
見開きで出てきた絵から
患者に何かをイメージさせる、という手法。
が、観察者から見た絵のイメージと
患者とのそれがマッチングするかが大事なのではなく、
単に「患者がどう受けとめるか」のみが大事であり、
観察者の受け取ったイメージはそれとは無関係なのだと
やっと思い至った。
全ての人は、自分の目で世界を見て、
自分の心でそれを判断している。
そこには正解も不正解もない。
自分のことは、自己判断しか出来ない。
「正解」と思ったら、それが正解になる。
「痛い」と医者に伝えることは可能でも、
その痛みを完璧に相手に伝えることは不可能。
だからこそ、
自ら自身の心を冷静に見なくてはならない。
太陽の光を美しくありがたく思うのも、
まぶしくて目が痛くなり敵意に感じるのも、
それぞれ個人個人の心次第。
花壇の花が色とりどりに咲く。
美しい花は心をなごませるであろうと、ある人は思う。
けれどもその花を嫌い、平気で踏みにじる人もいる。
花に好意を寄せる人。
花に敵意を感じる人。
けれど花は、人をなごませようとか、
敵意を持たせようなどとは考えていない。
花は、自分の仕事をしているだけ。
人目のないところにも、花は咲くのだから。
みんながそれぞれ自分の仕事をしている中で、
私がすることは、
私に与えられた仕事をすることだけ。
他者からどう見えるかなど、どうでもいい。
私が自分のフィルターを通して見る視点とその環境を、
このままずっと大切にしようと思う。
自分のフィルターが真善美で出来ていて、
しかもそれを人に押しつけなければ、
私自身が今後起こす間違いは少なくなるだろう。