こんな記事を書くと罰当たりかもしれないが、
私の個人的解釈ということでご了承下さい。
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聖徳太子が制定したという「十七条の憲法」に
「篤く三宝を敬え。三宝とは、仏法僧である。」
という言葉がある。
「仏」は釈迦、「法」は仏の説いた教え、
「僧」は出家僧・・・という考え方が一般的のようだ。
けれども私は、どこかのお坊さんが来て
「私は僧である。だから、この私を敬いなさい。」
などとコチラに向かって命令形で言うのであったら、
その人をとうてい信頼できない。
ブッダは本当に、「僧(自分の教団)を敬え」とか、
「仏(ブッダ)を敬え」などと伝えたのだろうか?
今、手元にある「原説般若心経」によると、
「その当時、プッタのサンガー(教団)に
弟子入りする条件として、
次の三つの約束がありました。
一、プッタに帰依するか
一、タルマー(法)に帰依するか
一、サンガーに帰依するか
であり、この約束が結ばれて、
始めて弟子入りを許されたものです。」
と、ある。そもそもは、入団条件っぽい。
単なる入団条件を掲げて
「俺は偉いんだぞ」とか言われても、
呆れて肩をすくめることしかできない。
条件を崇めたって、しょうがない。
では、この三宝の考え方は役に立たないのか、
というと、決してそうではなく、
独自解釈で、仏法僧とは何かを定義してみた。
仏・・・自分。(体、精神、魂、良心、直感、全部含めて)
法・・・自然界全体や法則。自然の理。
僧・・・他者。隣人。自分以外のいのち。
このように考えると、私には一番しっくり来る。
もっと簡単に言うと、人生を劇場に見立てて
仏・・・主人公(自分)
法・・・立っている舞台
僧・・・自分以外の登場人物全て
と考える。
この3つが揃わなければ、
この大宇宙という舞台劇が成立しない。
だから、この3つは、どれも大切。どれも宝。
というわけで、私は、自分の考えるこの「三宝」を
今後は大切にしていきたいなあと思っている。