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しばらく前に、人間関係を「つなぐ」とか「きる」とかを
自分なりに哲学してみたのだが、
また新たに、ふと、思ったんだ。
つながっているとか、きれているとかは、
単なる主観的なものなのではないか?って。
全ての人は、それぞれ、
ただそこに存在しているだけなのに、
まるで、子どもの遊びの
「えんがちょ」や「バリヤ(barrier)」みたいに、
「この人は自分にとって大切だ。仲間だ。」とか
「この人とは縁をきりたい。」などと
勝手に決めつけているだけなんじゃないか?
(蛇足。「えんがちょ」の語源って何だろう?
「縁がちょん切れる」の略語かもしれないな。)
相手と自分は同じ種類だからと、
すぐにくっつこうとするのは、ひとりでは不安だから?
相手と自分は違う種類だからと、
その関係を断ちきろうとするのは、ひとりよがりではないか?
地球という大きな家にみんな住んでいる家族なのに、
そもそも縁をきりようがないではないか。
地球から宇宙へと誰かを放り出したところで、
やはり宇宙全体から見たら、内包されているだけ。
神様視点で見たら、私たちは、
ひとつの水槽に入った金魚たちでしかない。
その中でいくら金魚たちが騒ごうと、
水槽の中の、小さな諍い事でしかない。
水槽まるごと愛している神様からすれば、
「酸素も水もきれいだし、食事もある。
どうして、陣取り合戦をするんだ?
どうして住処を汚すんだ?
どうして仲間割れをするのか?」と
やきもきなさることだろう。
・・・あ、話が逸れた。
個人的規模にしろ、
国家的な規模にしろ、
つなげたい思いも、きりたい思いも、
けっきょくは単なる執着なのかもしれない。
ただ、相手や自分の存在を
そのままの姿で尊重するだけでいいのに。
「あなたは、すばらしい。わたしは、すばらしい。」と
お互いに承認するだけでいいのに。
執着こそが、苦しみの根っこ。
つながる理由やきる理由なんて探さなくていい。
無理につながることもきることもやめてみたら
どうだろう。
きつい玉結びもなく、はさみの切れ込みもない、
ゆるいゆるい関係がいい。
相手へのお節介で干渉しすぎたり、
無視や敵対で傷つけることもなく、
すれ違いざま、ただほほえむだけの世界なら、
きっとそこはパラダイス。