昨日の記事、ちょっと補足がある。


実は最近、願うことがほどなくして叶うことが多いので、

正直、びびっている。


「願いが叶うなんて、最高じゃない?」

と軽く考えるなかれ。


私は自分が未熟な人間であることは承知している。

その未熟であやうい人物が気まぐれで願ったことが、

もし、すべて叶うとしたら、どれだけ危険なことか。


「あんなやつ、罰が当たればいい!」みたいに

ちらっとでも考えたら、とんでもないことになるでしょ。

直に手を下していなくても、

そういう思いを発信したという責任はどこかしらで伴う。


さらに思いとか念というのは、

相手と自分、両方にかかる「まじない」だと思う。


なにかのメルマガで読んだが、

”願いは、香水のようなもので、

 相手にかけると、自分にも香りが多少ふりかかる”とあった。

これは至言だと思う。


だから、祈りとか願いとかは、

本当に慎重に行いたいと感じている。


大金持ちになりたい、というのは、裏を返せば、

誰かの財産を奪い取りたい、という意味にもなる。


相手に振り向いて欲しい、というのは、

相手の気持ちを尊重していない意味にもなる。


自分が一番になりたい、というのは、

自分以外を蹴り落としたいという意味にもなる。


「自分さえよければ良い」という思いで

自己中な香水を相手に振りまけば、

自分も相手も自己中になる。


だから、生半可な願いは危険がいっぱいだ。

得をしたいつもりで、結局は自分が損をする。


もっとわかりやすい例えはないかな。

うん。やっぱり、鏡。相手は鏡。


鏡に剣をつきつければ、鏡の姿も剣をかざす。

鏡に花を見せれば、鏡の姿も花を持つ。


目には見えないが、願いもそう。

鏡に向かって願えば、

それはこだまのようにはねかえって戻る。


「人を呪わば、穴二つ」

「損して得取れ」

「情けはひとのためならず 巡り廻って己がため」

など、昔の人は、ちゃんと言っている。


もし、お祈りや念を飛ばしたいなら、

相手が幸せになる願い事をしよう。


願えば願うほど、それは自分の幸せにつながる。


手元にある魔法の香水を相手に振りかける前に、

まず自分でその香りを嗅いで、

自分にかかっても大丈夫(納得できる)かどうか

しっかり吟味してから使いたい。


(2~3行の補足で終わりにしようと思ってたのに、

 1記事分になってしまった・・・。

 毎度、話が長くてすみません。)