ブログパーツに「メロメロパーク」を使っている。
自分の育てているメロが独り立ちしたとき、
「育ててくれてありがとう。」という手紙をくれるのだが、
先日、7代目のメロであるペトロンが手紙の一部に
「知ってた?本当は、考えって、ケアのことなんだよ。」
と(平仮名で)書いてくれてあったので、嬉しかった。
この一文、私のハートにストレートに響いた。
「考えること」は、なんだか非生産的な感じだが、
それでもこうやってブログに書き表すことで
私や読者の何らかのケアにつながるのなら、
本当にありがたいことだ・・・、と思う。
****
ところで、真のケアとは何だろうと、ふと思う。
上記だけを下書きにして、ブログを一旦中断し、
読みかけの本「噛みきれない思い」を開いたら
まさに「ケア」の文字が目に飛び込んできたので、
仰天してしまった。
長いが、出てきた部分を引用してみる。
(略)・・・評価されるのはアクティブなこと、
つまり何をしたかという行動実績ばかり。
パッシブなこと、つまりあえて何もしないで
ひたすら待つという受動的なふるまいに
着目されることは、およそない。
なかでも、教育やケア(子育てや介助・介護)は、
その相手である一人ひとりの思いに濃(こま)やかに
耳を傾けることからはじまり、
また相手がいつの日かみずからの足で立つ、
みずからを立てなおすのをじっと待つ、ということが
とくに大きな意味をもついとなみである。
が、それの「評価」にあたって、
どれだけ耳を傾けたか、どれだけ辛抱づよく待ったかと
いうことがカウントされることはめったにない。
今の私にぴったりな部分だったので、
「ほー」と思いつつ、何度も読んだ。
つまり、現在、私のやることは、
「能動的な受け身態度」なのだと思う。
相手の成長を信頼し、
あえて受け身でいる、という感じ・・・。
こういうのって、世間の目から
残念ながら評価はされないだろう。
けれど、自分の評価で喜ぶより、
相手の成長を見守ってそれが花開いたとき、
猛烈な感動をもらえるんじゃないかと思う。
優秀な庭師は、自分を誉めてもらうより、
庭の花をこそ誉めてもらう方が
嬉しいんじゃないだろうか。
だから、私の、昨今の家族への対応は
たぶん正しいんだろう、と思う。
*****
結果を早く欲しがるのは、日本国民の習性か?
「待つこと」「育つのを見守ること」が
出来るような、成熟した態度を身につけたい。
まだまだ私は未熟者。