タレントの大泉洋さんとおつきあいする夢を見た。
以前から彼を好ましく思っているので、
目が覚めてからも嬉しくてにやついてしまうのだが、
それと同時に「夫、ごめん」という気持ちもある。
夢の内容を思い出すたびにドキドキしてしまって、
まるで思春期の中学生のようである。
それほど胸をときめかす存在でありながら、
私は彼の出てくるテレビをあえて観ようとは思わないし、
会って会話したり握手したいとまでは思わない。
なんというか・・・
「同じ地球上で生きていてくれて、本当にありがとう」
と思うだけで、充分幸せなのである。
子どもの頃も、そのようなファン気質(?)だったので、
同世代の友達に変だと思われた。曰く、
「本当のファンだったら、どこまでも追いかけたいとか、
会いたいとか、自分の方を見てもらいたいとか、
ひとりじめしたくなるものだ。
だから、みにもるは、本当のファンじゃないんだよ」と。
なので、自分は、ファンには値しないのだと思った。
そんな密度の濃い間柄が
世間のアイドルとファンにあるのなら、
他者とのお付き合いが希薄な私の、出る幕ではない。
もし自分がタレントになったら、と考えてみる。
むやみに追いかけられたり、握手やサインを強要されたり、
プライベートタイムをぶちこわされたら、
有名税だから我慢しろと言われても、納得がいかない。
ものすごく相手をわずらわしく思うだろう。
自分が好きな相手であればあるほど、
相手のテリトリーの邪魔をしたくない。
「自分がされたくないことは、人にはしない」を
守りたいと思う。
・・・あー、書きたいことがどんどん逸れていくような。
とにかくね、「相手の存在自体に感謝すること」が、
私の愛の示し方なのだ。
それを、周りに変だと言われれようとも。
今までは、変と言われたら、
「直さなきゃ。世間のものさしに合わせなくちゃ。
もしその枠に入れないのならば、去るしかないんだ。」
と自分を責めてばかりだったのだが、
「こういう愛し方、ファンとしての在り方も、自分なのだ」と
肯定できるようになった。
世間の人に対して、
私のような愛し方をすればと良いのに、とは言わない。
愛の示し方は人それぞれだと思うから。
きっと、どんなファンの姿も正しいのだ。
だから、自分の姿ももちろん正しい、と思うことにした。
大泉洋さんに対しても、
すぐそばにいる夫に対しても、
実は同じ思いでいる。
「生きていてくれて、ありがとう」と。
心の中で、相手とシェイクハンズする。
そうして私は、心が大きく満たされる。
タレントへの思いと、夫への思いが同じなんて、
私は結局、擬似恋愛しているだけなのだろうか。
つまり、どっちも本当には愛していないのか?
世間の枠から外れてしまっているので、
時々わからなくなって、そのように悩んだりもする。
もっと夫とも、会話したりスキンシップしたりした方が、
世間的に見れば幸せな夫婦像に近くなるだろうが、
会話下手だし皮膚接触が苦痛な私にとっては
かなりハードルが高すぎて、世間に合わせられない。
自分なりの愛し方しか私には出来ない。
だから、もう、それでいいじゃん!と割り切るしかない。
また、もしそれが壁にはね返って同じことが戻ってきても、
まったく問題ない。
相手に放った「生きていてくれて、ありがとう」が
そのまま自分に返ってくるとしたら、
こんなに嬉しいことはない。
「自分がされてうれしいことを、相手にする」とは、
表だった行為だけでなく、念を送る時も同じだと思う。
日頃どんな念を送るか、そのことも自覚しておきたい私だ。