「ありのまま」って、漠然としてる。
けれど、最近、自分がそのありのままに
戻っていく感覚が強くなっている。
たとえていうなら、
田舎娘が田舎の生活に飽き飽きして、飛び出す。
都会に出てきて都会生活を頑張るんだけど
無理して都会のペースに合わせるのがつらくなり
とうとう耐えきれなくなって、田舎に電話する。
「帰っても・・・いいかな?」
親たちは、「もちろん。」と言う。
田舎娘は、田舎に戻って、田舎の良さを見直す。
都会で使ったコートやスーツはみんな捨てる。
今度は、田舎で仕事を探すことにする。
自分を飾らなくてもいい仕事場で、生き生きと働く。
そして、寂しい思いをさせていた両親に
恩返しをするつもりで、愛情を注ぐ、みたいな。
都会が性に合う人は、そのままいればいい。
都会は悪いのだ、とはいわない。
ただ、私には、その場所が合わなかっただけ。
「アルジャーノンに花束を」という本があるが、
知的障害がある主人公が、
頭の良くなる薬を飲んで、人生が成功したかに見えるんだけど、
見たくない世界もいっぱいあってげんなりする。
そうして、彼はまた元に戻っていく。
ありのままの姿に。
あるいは、アルプスの少女ハイジが、
都会の子クララの遊び友達として生活を共にするが
女執事みたいなロッテンマイヤーに
自由に動くことを全て否定されてしまう。
アイデンティティを崩壊されてしまったハイジが
またアルプスに戻り、都会の服を全部捨て、
下着姿でお爺さんのもとへ走っていく。
ありのままのハイジを受け容れてくれる場所へ。
私も、「演技していた部分」と「元の自分」を切り離して、
演技で固めていた部分や、世間的な固定概念を
どんどん捨てていっている。
この間、子どもたちに「ママ、変!」と言われたが、
「ううん、今までが変だったんだよ」と言いたい。
世間的に見たら「変」な私だけど、
これが私のありのまま。
私にとって「ありのまま」とは、「武装解除」のこと。
自分の内側と外側に向かって、和平宣言。