受容と所属の違いについて。


「自閉症だったわたしへⅢ」を読んだら、

こんな一文を発見し、驚いた。


”自分が「違っているもの」として受け容れられるのと、

 似た人たちの中で「ふつうだ」と感じながら

 受け容れられるのとでは、同じではない。

 前者は「受容」だが、後者は「所属」なのだ。”


この言葉により、自分の方向性が掴めてきた。


私は(生まれつきか後天性か知らないが)アスペルガーゆえに

自分がまるで異星人に思え、

その状態で地球人たちと仲良くしようと思っても、

上手に出来なかった。


ある日、ブログつながりで

多くのアスペルガーのブログを読んでいくと、

そこには同じ言動をする人々がいた。

同じ星の人を地球上で発見して、

「ひとりぼっちじゃなかったんだ」と本当に嬉しかったし、

ブログを読めば彼らの考え方や

この世界での生きにくさが無理せずともすんなりわかる。

これこそが帰属感なのだ、と初めて知った。

地球人とは味わえなかった、染み通るような共感。


けれど、「同じ星の人たちとだけ」で今後交流したいか、

というと、またそれも違うなあと感じた。


所属したくても出来ない場所にいて、ずっと苦痛を感じ、

所属できそうな場所を、ようやっと発見したのに。


たぶん、周囲のみんなが自分と同じような場所は、

居心地はかなりよさそうだろう。


たとえるなら、右利きの世界では、左利きの人はつらい。

けれど、左利きの世界に住めば、ストレスは減る。

それは、当然の話だ。


自分が左利きなので、

左利きだけの社会に住みたかった?

気持ちの良い場所やグループに入って、

ストレスなく生きていく。それがゴール?

・・・いや、違う。


ありのままの私であっても受け容れてくれる世界。

ありのままのあなたであっても、

私があなたを受け容れる世界。


右利きも左利きも、お互いを尊重しあえる世界。

「お前は右利き(左利き)で、変だ」とか言わない。

「右利きでOK、左利きでOK、両方出来てもOK。

 もし手がなかったら、別のやり方でもOK」という、

オールOKの世界。


お互いの違いで永久にぶつかり合うのではなく、

自分とは違う面を認知し合う間柄。


私が目指しているのは、

「所属」ではなく「受容」だった。


今までの旅は、

所属しない(出来ない)つらさとか

受容できない(されない)つらさを

体験するためだったのかも。

これらの体験を、今後に生かそう。