「無知の知」について書きたい。


今までは、

自分が知らないことがあるのは、恥だと思っていた。


「無知の知」という言葉は、

「お前は何も知らないのだ。思い上がるな!」

という戒めの言葉だと受けとめていた。


知っていることはすごいことで、ほめられること。

反対に、知らないことは偉くない。

私は何も知らないから、偉くない。ダメな存在だと感じた。


が、その後、知らないことがあっても、

それは恥ではないんだ、と気が付いた。


相手が知っていて、私が知らないことがある。

私が知っていて、相手が知らないことがある。


立場的には同じじゃないか。

威張る必要もないし、卑下する必要もない。


そもそも、

「無知の知」は、いったい何を言いたいのだろうか。

「思い上がるな」という意味ではないのなら。


天の世界は、愛と叡智で出来ている。

その世界に戻れば、

愛の中で生き、知の中で生きていられる。

                ↑

(あ、死後の世界だから、生きている、というのは変か。

 存在していられる、と言い換えてもいいな。)


元からそういう完璧な世界にいるのに、

なぜわざわざ肉体のあるこの地球に

下りる必要があるかというと、

「愛がないとはどういう状態か」とか

「知がないとはどういう状態か」というのを

身をもって体験する為なんだ、と気が付いた。


「無知の知」は、

「無知の状態」を体験してみなさい、

というだけの意味だったんだ。なるほど。


これと同じように、

「愛がない状態」とはどういうものかをも

具体的に体験するために、

わたしたちはここにいるんだろうな。


*****


(追記)


今ちょうど読んでいる本に、

「無知の知」について記述あり。


◎ わからないことは「わからない」でいい。


◎ いちばん大事なのは、

 自分が実感していないのに知ったふりをしないこと。

        ↑

 (知ったかぶりをしない)


この二重丸、かなり大切だと思う。勉強になった。



あと、”知ろうとする姿勢”は、忘れないようにしたい。


この本によると、どんなものより罪なのは、

「知ろうとしないこと」「見ようとしないこと」らしい。


自分自身について知らないことを、

もっともっと探求していきたい。