だんだん、自分のことがわかってきた。


昔は、自分のものさし(価値観)を

何かの理由で捨ててしまったのだろう。

あるいは、最初から持っていなかったのかも。


自分のものさしが無いので、

他の人のものさしを使って世間の見方を推し量っていた。

Aさんと話をしているときは、Aさんの。

Bさんと話をしているときは、Bさんの。

けれど、AさんとBさんと私が同席しているときは、

どのものさしを当てはめればいいのかわからず混乱した。


もっと多くの集団の中にいると、

さらに混乱した。だから、集団が苦手だった。

人と集えない自分が悪いのだと、自分を責めた。


世間にはなんと、ものさしの多いことだろう。

ものさし、というか、ルール?

学校には学校の。家庭には家庭の。

友人には友人の。交通には交通の。人には人の。


その決められているルールをきちんと守ろうと思っていた。

けれど、どこでいつ当てはめればいいか、わからなかった。


一度言えばわかるでしょ、といわれても、

耳から情報を得るのが難しかった。

絵か図、文字で教えてもらいたかった。


見ればわかるでしょ、といわれても、

AさんやBさんは別の動きをするので当てにならなかった。


だから、一番厳しい観点から選ぶことにした。

「静かに」と言われたら、黙っていることにした。

「大人しく」と言われたら、微動だにしなかった。

「発言して」と言われても、結局、

大声を出すとまた叱られるので「静かに」の方を尊重した。

そうして私はどんどん、どんどん、動けなくなった。


まるで、お役所のような感じ。

一度決められたルールは、曲げてはいけないのだと思った。

それが生きていく上で、いつも正しいと思っていた。

周りが「もう少しアバウトでもいいよ」と言ってくれても、

そのアバウトさ加減が理解できなかった。

実際、私が好きに動くと、周りから「ストップ」がよくかかった。

声も動きもオーバーアクションだったから、

周りがびっくりしたのだろう。

大げさな態度ゆえに「ストップ」がかかるが、そのたびに、

「やはり動いてはいけないのだ」と理解した。


犬への命令に似ているかもしれない。

「待て」と言われたら、ずっと待っている。

そんなとき、ご主人様がピンチに遭っても、

さっき「待て」と言われたんだからと、駆けつけない。

そんな風に、応用がまったく利かない。


素直と頑固は、私の場合、共存する。

普通頑固といったら、自分のものさしに固執すること。

私は、他人のものさしに素直に従い、それに固執した。


可哀想な私。無数の他人のものさしに振り回されて。


他人=「勝手にものさしを押しつけてくる人」としか思えず、

命令も愛情も区別できなかった。みんな敵に見えた。


漠然とした正しいものさしに自分を合わせようとして、

ますます自分を見失っていた。


でも、もういいんだ。

私は、私のものさしで生きてもいいんだ。

みんな、それぞれ、ものさしを持っているんだから、

私だって持っていたっていいんだ。


みんなのものさし、みんなちがって、みんないい。

ひとつだけが正しいなんて、ありえない。

さらに、私独自のものさしがあってもいい。


「自分自身のものさしを持ってもいいんだよ」って

一番大事なこと、誰も教えてくれなかったけど、

やっとのことでそれを知った。理解した。


悪いけど、今までのものさしは、全部捨てる。

私はこれから、自分独自のものさしを作り始める。

それが上手に出来たら、今度は、

私のものさしが役に立てる場所を、これから探そう。


・・・というようなことを、下の本を読んで、思った。↓

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)/ドナ ウィリアムズ

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