ここのところ、アトランティスの話ばかり

ブログに書いていて、自分でも

「なんだか、やばい道に入り込んでいるのでは?」と

心配になってきた。

俗に言う「電波系」と揶揄される人々に

入り込もうとしている気がする。

(既に入り込んでる?)


なので、自分は大丈夫なのか客観的に判断しようと、

某精神科医(で大学教授もやっている人)

が書いた本を読む。


この人は、自分の所へやってくる患者の症例を

ひとつひとつ書いては、

「この患者は、ココが変だ」とあげつらっていた。


私は、この精神科医の方が、

自分のモノサシでしか人を計れない人だと思った。

自分は偉いし、正常である、と主張している。

異常な人とは、たまたま落とし穴に落ちちゃった人で、

自分はそういう穴に落ちないよう気を付けているらしい。


けれども悲しいかな、この観察者は結局、

自分のことを観察することしかできてない。


この精神科医は、例えるなら、

異常者たちが泳ぐプールを監視する監視員で、

「正常で常識人」と書いてある監視台に座って、

高いところから異常者をながめているつもりらしいが、

実は自分自身もそのプールに漂っていることに

気が付いていない。


そして、そのプールは、実は外側の出来事ではなく、

その精神科医の心の世界なんだ。


この本を読んで、少なくとも

この精神科医のお世話にだけはなりたくないなあと、

強く思った。


こんな人に「あなたは異常だね」と言われても、

全然説得力がないし、

反対に「あなたは正常の範囲です」と

言われても嬉しくない。


だいたい、この人、患者に寄り添う気持ちがゼロ。

とはいえ、かくいう私も今まで冷徹な観察者だったから、

この精神科医の何が足りないのか、

身につまされる思いで読んだのだけど。^^;


まあ、この精神科医の方も、

何か転機が起きて、いつか

目が覚めることもあるだろうと思うことにした。


さあ、翻って、自分はどうなの?


うん。わかったことがあるよ。

結局、他人のものさしは当てにならないって事。

自分が正常か異常かの判定を、

他人にしてもらおうかなあと思う気持ちが間違ってた。


世間から見て自分がどう思われるかを気にすること自体、

つまらないことなのだとわかった。


この精神科医の持っているものさしは、

世間一般の、どこにでもある、ごくありふれたものさしだ。

けれど、そのものさしが正しいかどうか判断せず、

偉そうに使いまくって優越感に浸るなんて、

そんな生き方はもうしたくない。


私はもう、自分を計らない。


世間から見て、正常か異常か、もうどうだっていい。

振り返らず、先に進もうと決めた。

だって、今の道の方が好きなんだもん。

明るいんだもん。きれいなんだもん。


誰かのせいにもしない。何かのせいにもしない。

自分で決めた道を、自己責任で歩くのみ。