図書館で本を借りた。
『「いい人」は、なぜ頑張りすぎてしまうのか』
というタイトルの、精神科医さんの本だ。
このタイトルだけで、1記事書けちゃうよ~。
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”「いい人」は、なぜ頑張りすぎてしまうのか。”
これを、発想の転換してみよう。
↓
頑張りすぎる人は、「いい人」ではないのか?
頑張る人は、「いい人」なのか?
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私は、好きで掃除を一生懸命やってるとき、
とても幸せを感じる。
そのときは、「無理に頑張っている」とは思わない。
そういう姿を見た人が、
「ああ、すごい。みにもる、頑張っているね」とか、
「みにもるって、『いい人』だね」とか言ったりする。
ほめられるのは、誰だって嬉しい。
だから、「頑張っているね」「いい人だね」と言われたくて、
さらに掃除をし続けたのだが、
それが当たり前になってしまって誰もほめてくれなくなると、
「あれ?もっと頑張らないとダメ?」と不安になり、
体が疲れてきても、止められなくなる。
なぜなら、作業を止めてしまったら
「いい人」ではなくなってしまうような気がするからだ。
そうなると、楽しかった掃除が単に苦痛でしかないし、
止め時も自分ではわからなくなってしまう。
「いい人」というレッテルによって、体をこわす羽目になる。
つまり、「いい人」が頑張りすぎるのではなく、
「いい人」というレッテルが、人を追いつめるのだ。
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好きで作業しているときに「すごいね」と言われても、
体を休ませているときに「休むな」と言われても、
そんな評価は放っておくのが一番だ。
それよりも、
評価に振り回されている自分を見つめ直して、
自分軸に戻ろう。
好きで走って、疲れたら、椅子に座ればいい。
十分に疲れが取れたら、また動き出せばいい。
ゆっくりやりたかったら、ゆっくりやれば良いんだし、
早くやりたかったら、早くやればいい。
自分で出来る範囲で、自分のペースで。
それが一番長続きする。
「いい人」も「悪い人」も、一時的なものだ。
レッテルは、永久的に有効なのではないのだから、
それにしがみつく必要はない。
私は私でしかない。
あなたはあなたでしかない。
安易で一方的なレッテルに振り回されず、
自分なりに輝けばそれでいいんじゃないのかな。