図書館で本を借りた。

『「いい人」は、なぜ頑張りすぎてしまうのか』

というタイトルの、精神科医さんの本だ。


このタイトルだけで、1記事書けちゃうよ~。


****


”「いい人」は、なぜ頑張りすぎてしまうのか。”

これを、発想の転換してみよう。

   ↓

頑張りすぎる人は、「いい人」ではないのか?

頑張る人は、「いい人」なのか?


*****


私は、好きで掃除を一生懸命やってるとき、

とても幸せを感じる。

そのときは、「無理に頑張っている」とは思わない。


そういう姿を見た人が、

「ああ、すごい。みにもる、頑張っているね」とか、

「みにもるって、『いい人』だね」とか言ったりする。


ほめられるのは、誰だって嬉しい。

だから、「頑張っているね」「いい人だね」と言われたくて、

さらに掃除をし続けたのだが、

それが当たり前になってしまって誰もほめてくれなくなると、

「あれ?もっと頑張らないとダメ?」と不安になり、

体が疲れてきても、止められなくなる。


なぜなら、作業を止めてしまったら

「いい人」ではなくなってしまうような気がするからだ。


そうなると、楽しかった掃除が単に苦痛でしかないし、

止め時も自分ではわからなくなってしまう。


「いい人」というレッテルによって、体をこわす羽目になる。


つまり、「いい人」が頑張りすぎるのではなく、

「いい人」というレッテルが、人を追いつめるのだ。


*****


好きで作業しているときに「すごいね」と言われても、

体を休ませているときに「休むな」と言われても、

そんな評価は放っておくのが一番だ。


それよりも、

評価に振り回されている自分を見つめ直して、

自分軸に戻ろう。


好きで走って、疲れたら、椅子に座ればいい。

十分に疲れが取れたら、また動き出せばいい。

ゆっくりやりたかったら、ゆっくりやれば良いんだし、

早くやりたかったら、早くやればいい。

自分で出来る範囲で、自分のペースで。

それが一番長続きする。


「いい人」も「悪い人」も、一時的なものだ。

レッテルは、永久的に有効なのではないのだから、

それにしがみつく必要はない。


私は私でしかない。

あなたはあなたでしかない。


安易で一方的なレッテルに振り回されず、

自分なりに輝けばそれでいいんじゃないのかな。