先日、夫から聞いた話。


夫の会社で、こういう人がいるらしい。


嫌な目にあったら+1点と点数を付けて、

めでたく?も合計で+10点になったら

怒りを表に表すよう自分に許しているのだそうだ。


その人は、本当にマメに手帳を開いて、

「部長にああ言われたから1点」

「課長にけなされたから、これは2点」

などとブツブツ言いながらメモっているらしい。


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それを聞いて私も中学の頃、

似たようなことをやろうと

思っていたことを思い出した。


私の点数の付け方は、あくまで自分への採点で、

自分が良いことをしたら+1点、

自分が悪いことをしたら-1点としようと考えた。

ところが、それを同じ中学の友人に話したら、

「やめときなよ。自分に点数を付けると、

 鬱病になるらしいよ」

と言われた。


それでも、少しだけトライしてみたのだが、

自分に厳しすぎてマイナスが増えてしまい、

「人生が嫌になる、止めよう」と思った。


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冒頭に書いた夫の同僚の話に戻る。


もし、誰かに自分の至らない部分を注意されて、

吟味して次に生かすために内容をメモするとか、

嫌なことがあっても10まで怒らなかった自分をほめようとか、

ポジティブに閻魔帳を使うなら、

そういう点数の付け方は私はアリだと思う。


が、その彼は自分が何故その点数を付けているのか

本人がまったく自覚していないことが、

最大の不幸ではなかろうか、と、私は考える。


自分がいかに不幸か数えるのがメインではなくて、

本当は、彼はただ『怒りたい』のだ。

怒るための理由を探しているのだろう。

怒りを爆発させたいがために、

日々、ネタを、目を凝らして探し続けている。


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多くの方のブログを読ませていただいているが、

みんな、ご自分のブログを充実させるために、

日々ネタを探していることであろうと思う。


そして、楽しいブログにしよう、と決めたとき、

その人は、少しでも楽しいことを毎日探している。


自分のつらさを表現するブログにしようと決めると、

誰それにやられたことがつらいとか、

あの音楽を聞くとつらいとか、つらいもの探しになる。


ブログではなくても、例えば雑誌記者が、

芸能人のあら探しに命をかけるのも同じではないか。


そして私は、自分にとって成長になる物事は何か、

日常生活でネタを探しているに過ぎない。


感動したい人は、感動するネタを探し、

けなしたい人は、誰かのミステイクを探し、

戦争を起こしたい人は、敵を探し、

お金の欲しい人は、儲け話を探し、

勉強したい人は、教科書を探している。


そうやって考えると、一人一人、

今の自分が一番欲しい情報のネタを

毎時毎分探しているんだなあと思う。


だから、いつも自分が探して集めている情報は何か、

そもそも何故それが欲しいのか、

ということを突き詰めていくと、

自分自身がよくわかるのだと思う。


読者のために情報を探しているのだと言う人もいるかもしれないが、

結局は、自分のためにそれをやっている。

自分にとって面白くもない情報を、

誰が好きこのんで集めるだろうか。


どんな情報にせよ、せっかく集めたならば、

せめて自分自身をよく知るために役立てたいものだ

と、私は思っている。