先日、あるテレビ番組を見ていたら、
司会者がこんな話をしていた。
「ある牧場主が、自分の牛を紹介して
『かわいいでしょう、かわいいでしょう?』
となでまくっていた。
が、テレビ局の人が
『そうは言っても、結局食べるんでしょう?』
と尋ねたところ、
牧場主は、キリッとした顔になって
『経済動物ですから』
と言ったんですよ。」
という話。
この司会者は、”経済動物”という言葉を
初めて耳にした、と言い、
その牧場主を笑い物にしているようだった。
私は、『結局は食べるんでしょう?』と質問した人を
失礼な人だと感じた。
私たちは、たくさんの生き物によって
命を支えられている。
畑から取れる物、山や海から取れる物。
結局食べるのならば、愛情をかけても無駄ではないか、
などと、そんな思いで食するならば、
身を捧げてくれた生き物に対して、失礼ではないか。
農家の人や牧場の人々は、
いずれ食べられるものに対しても愛を注ぐ。
何故、愛を注ぐのか。
愛を注いでこそ、その対象に感謝の念が湧いてくるからだ。
愛する対象がない人生は、悲しくつまらなく、むなしい。
そこにいてくれて、ありがとう。
私を幸せにしてくれるあなた、ありがとう。
そういう気持ちになってくる。
いつか枯れる花に、水を与えるのは何故か。
いずれ去っていく子に愛情を注ぐのは何故か。
いずれ年老いて燃やされる自分の体でも
いたわりながら生活するのは何故か。
イチローがいつかは壊れる野球道具を、
毎日心を込めて磨くのは何故か。
今という時間を輝かせる方法は、
どんなことであれ、
大切な物に精一杯の愛情を注ぐことに尽きるのだ。
この世のものは、全て無常。
変わらぬものはない。
生まれた物は、いつか土に還る。
けれど、愛情を注いだことは、無にはならない。
私はたとえ人に笑われても、報われなくても、
自分にとって今大切なものには、
惜しみなく、愛を与えたいと思う。