ここ数日、まったくブログを書く気が失せていて、

「ああ・・・、もう、ブログ止めようかな。

 たぶん、もう書きたいことは書き尽くしている。

 これで私の使命も終わっているはず。」と本気で思った。


長女に、「ママ、ブログを止めて良いかな?」と聞いたら、

「ダメだよ。それは、ママの仕事でしょう?」と言われ、

「・・・そうでした。ごめんなさい」とあやまった。


とはいえ、書くことが思いつかなかったので、放置。

(今から思えば、直感が働かなくなっていた。

 だから、書きたいことがちっとも頭にひらめかなかった)


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この「何もやりたくない気持ち」に落ち込むのは、

以前にもあった。

安定しない、ふわふわした浮遊感。

痛くもない、苦しくもない。さりとて、楽しくもない。

生きながら死んでいるような、ゾンビ状態。


この状態をたとえると、自分がAT車になった感じ。

で、ギアをニュートラルにしたまま、ずっと暖気している。

あるいは、ギアはドライブにしているが、

アクセルもブレーキも踏まずにそのままにしているので、

車が勝手にトロトロと進んでいる感じだ。


この気持ちのまま、私は後半生を過ごすのだろうか。

なんとけだるい生き方だろうか。

まあ、やることもないし、毎日惰性で生きるとしようか。

そんなドツボ気分に、4日ほど、はまりこんでしまった。

が、別に支障はなかったので、放っておいた。


ところが、今朝になって、朝、起きられなくなった。

めまいがする。頭が重い。マブタが重い。

眠気とも違う。鬱々とした思いが支配している。

「あれ、どうしたんだろう?」


体中をくまなく調べて、体には痛みがないとわかる。

これは、心の問題だな。

最近の自分の心の状態を振り返って、

ニュートラルな自分にやっと思い至った。


「そうか、気持ちをニュートラルにしていると、

 5日目辺りから、体に変調が起こるのか・・・」

「ニュートラル状態だと、天からの指令が届かなくなる。

 だから直感がまったく冴えなくなるのだなあ・・・」

などと、冷静に分析している自分。

自分で自分を人体実験している科学者みたいだ。


などと、感心している場合ではない。

起きられないことには、家族の一日も始まらない。

まずは、家族を全員、無事に送り出そう。

そのあと、半日、ぶっ倒れていよう。

そう決めて、ふらつきながらも立ち上がった。


80歳のおばあさんのような前傾姿勢で

おにぎりを作成し、家族に出す。

私も一口食べてみるが、砂を噛むようだ。

よく噛んでも、味がわからないので、二口で止める。

次は、バナナを次女と半分こした。甘さが嬉しい。


しゃがんだり立ったりと、休み休み家族の仕度をしながら、

その間中、ずっと、「ありがとう」を心の中で唱える。

こんなに具合が悪いけど、まだ動ける。ありがとう。

こんなに気持ち悪いけど、家族に笑える。ありがとう。

ずっと寝ていたいけど、家族に心配をかけないようにしている。

すごいぞ、私。本当に、すごすぎる。ありがとう。


自分をどんどんほめて、無理しない程度に動いていたら、

めまいが収まってきた。気持ちも段々上向きになる。


次女を園バスに押し込んだ頃には、

すごく幸せ気分で、体も元気になってきたので、

ますます「ああ、ありがたいなあ」と思えるようになった。

家まで走って帰れるほどになった。良かった。


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ニュートラルな状態とは、

自分で自分の選択を放棄している状態なのだと思う。


良いことも悪いことも選択しないで行動もやめていると、

体に変調が起こるようだ。


自分のやるべき事がわかっているのに、しない。

これが、怠惰というものなのか。

人生において、選択する姿勢は大事だなあ。うんうん。


以前にも、このニュートラル状態になったことがあるが、

そのときは自然に治ったので、深く追求しなかった。

が、今回は、ちゃんと学べたと思う。

次のニュートラル状態の時は、これを思いだそう。

またひとつ勉強になった。

素晴らしい経験をありがとうございます。(-∧-)合掌・・・


(11月12日 記す)