過去の私は、ロダンの「考える人」みたいだった。
立派な体を持ちながら動くのを厭い、ずっと座り込み、
他人の「もっと動きなさい」という言葉を無視した。
「そうはいっても、まず考えないと・・・!」などと
自分の物思いにふけっていた。
で、何を考えていたかというと大抵は小我なので、
何とかの考え、休むに似たり。
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現在の私は、興福寺の阿修羅立像。
あの像の姿を、私なりに勝手に解釈するならば、
以下のようである。
本当の顔の後ろに、もう2つ顔があるのだが、
あれは外からは見えない「怒り」と「悲しみ」だ。
生きていると、自分の感情が内面で荒れ狂い、
「ウガー!!」っと手を振り上げたくなる。
その振り上げた手を、忍耐で、
少しずつ少しずつ下げていき、
最終的に自分の胸の前で合掌するのだ。
「怒り」や「悲しみ」などの心の波を、
「感謝」という形で昇華する。
けれど、まだまだ「感謝の心」が足りないので、
表面の本当の顔はまだ、眉間に力が入っている。
「はあ~、いつになったら、本当の”感謝”になるんだろ。
これもまた、修行か・・・」と、トホホになっている。
そんな状態。
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未来の私は、広隆寺の弥勒菩薩を目指したい。
(我ながら、大きく出た!)
ロダンの考える人は、他人が声をかけづらい。
が、弥勒菩薩が考えているお姿は、
誰でも声をかけやすそうではないか。
心も体も一つであり、阿修羅のような葛藤はない。
ちょっと考え込むことがあっても、
誰かに呼ばれたら、
「はい、なあに?」と即座に振り向き、スッと立ち上がれる。
そんな姿になりたいなあと思う、今日この頃。
(10月19日 記す)
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