今読んでいる本は、「四国遍路」。


四国遍路をいつかやってみたかったので、読んでみた。

筆者が遍路する間に色んな気づきを得るのが、心地よい。

気づきの疑似体験が出来る、素敵な本だ。


四国遍路 (岩波新書)/辰濃 和男

¥819
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さて、この本の冒頭に、気になる記述を発見したので

抜き書きしておきたい。


「素(そ)」を大切にしたいと思う。

簡素、質素、素心、素木(しらき)の素だ。

素という字には、根本、生地のまま、

飾りのない元のままのもの、などの意味がある。

暮らしの根っこにあるもの、

虚飾をはいでぎりぎりの生地を現したもの、それが素だ。

素という字には暮らしを律する根元的な力が

あるように思えてならない。素でありたいと思う。

(略)

余計なものはいっさい買わない。

買う前にそれが本当に必要なのかどうかを

十分に吟味するといった単純なことから始めたい。

ものを大事に使うとか、暮らしのなかの

取るに足りない問題を切り捨ててゆくとか、

こころの虚飾を排するとか、

そういうこともまた素の守備範囲だ。


素のままの生き方。あこがれる。

今まで生きてきて、たくさん虚飾を付けてきた。

だから、どんどん削いでいきたいと思っていた。


けれど、その虚飾さえも私ならば、

それは無理に排除しなくても良いのではないか。

虚飾に振り回されなければ、それで良いのではないか。

虚飾さえも、素。そのまま。

必要な虚飾はそのままに、要らなくなったら捨てるだけ。

・・・最近、そんな風に思う。


そして偶然、ネットで良寛さんの詩を見つけた。


  丁度よい (良寛)


お前はお前で丁度よい

顔も体も名前も姓も お前はそれで丁度よい


貧も食も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい

幸も不幸も喜びも 悲しみさえも丁度よい


歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない

お前にとって丁度よい


地獄へいこうと極楽へいこうと いったところが丁度よい

うぬぼれる要もなく 卑下する要もなく 上もなければ下もない


死ぬ年月日さえ丁度よい

お前はそれは丁度よい


この詩を見つけたところは→コチラ


身につける必要もなく、削ぐ必要もなく、

今の自分をただただ受け入れることが

「素」であり、「丁度よい」のではなかろうか。


ガリガリの体だろうが、メタボだろうが、

健康だろうが、病気だろうが、

きっとそれが、今の自分にとって丁度よいのだろう。



四国遍路の本を読んでいたら、

わざわざ四国まで出掛けて

遍路しなくても良いような気持ちになってきた。


私は私の道を遍路すれば良いと思ったから。

今、歩いている道を大切にしたい。


(10月7日記す)



(注)人によっては、遍路という非日常に入って

自分の心を振り返ることが性に合う人もいるでしょう。

「四国遍路は無駄」と言っているわけではありません。

どこを歩くにせよ、学ぶ気持ちを忘れないでいたいです。